正念寺で送別会を開いていただきました。

昨年、高千穂で住みたいと思いたち越してきました。この場所を選んだことに明確な理由はなく、「そういうのを呼ばれてきた、というみたいですよ」とあまねちゃんに言われ、案外そういうもんなんだなと思うようになりました。この高千穂の土地にはそのように”呼ばれた”人たちがたくさんいらっしゃるという話も伺いました。

初日、ここキャンプ場の匂い!と感動した空気は今では日常になり、美しい山並みは季節の移り変わりを五感で感じさせてくれます。同時に、私たちも自然の一部に過ぎないのだなと感じることが多くなりました。高千穂の方言は耳に心地よく、ときに観光地で聞こえてくる関西弁に「あ、関西の人だ」と反応するようにもなりました(自身も関西弁なのですが)。

都市部に住んでいた頃は、仕事中には近くのカフェで息抜きのコーヒーをテイクアウトし、仕事終わりにはマッサージに行ったり、お気に入りのバルに行ったりといつでも徒歩圏内で便利なサービスが利用できました。ここでは、車で山を越えないとサービスを利用できないことも多いです。美容院に行くために片道2時間程度かけ薄暗い山道を峠越えしたのはいい思い出になりました。ウーバーイーツは圏外、夜遅くまで営業しているバルも見当たりません。

そういう不便だなと感じることを差し置いても、ここでの暮らしはいつも魅力にあふれていました。美味しい食べ物や地域の行事など、大人になってからこれほど季節の移り変わりを意識したことはありません。それはこの美しい自然だけでなく、この土地で出会った人たちの存在も大きかったと感じています。地元の方々の話、また自身の肌感覚としても、人と人とのつながりは都会のそれよりもはるかに濃密に感じました。道を歩く学生さんは皆必ずあいさつをしてくれますし、地元の方や職場の方から旬のお野菜や果物を頂く機会も多くありました。しかし一方で、物事には必ず表と裏があり、こういうことが少し窮屈に感じることがあるというような話も聞きました。地方から都心部に移り住んだ友人のなかには、人間関係のラクな都会のほうがよいと言っている友人もいます。これは旅ではあまり感じることがない、住んだからこそ感じるリアルだと思いました。

旅は単なる通過に過ぎませんが、住むことはそこに根を張るディープな体験です。1年に満たない短い期間でしたが、通過するだけでは見えない事柄にたくさん出会うことができました。

自身のコンフォートゾーンを出て違う環境に飛び出ることはとても刺激的です。そこには、違う価値観や生活様式があります。

定住し、安定した暮らしというのも一つのライフスタイルだと思います。ただ、”旅という病”と沢木耕太郎氏が著作で呼んでいたように、私の漂白の旅はまだ続きそうな予感がします。

ありがとう、高千穂!