奉納公演1

チダンバラムへ

皆で車に乗り込み、ティルチラーパリからチダンバラムへと向かう。途中、いくつかの立派な寺院にも参拝し、南インドの寺院の構造や参拝の方法を間近に見た。地元の人たちにとっての寺院の存在は、食べるとか寝るとかと同様に、日常の自然な一コマとして身近なものだった。そこには、その地に鎮座する神々への純粋な敬意が込められている。

人々が祈りを捧げるポーズには、バラタナティアムのダンスフォームに酷似したものもあり、やはりバラタナティアムの土地にやってきたのだという実感があった。ビギナーの私には、踊りの動作ひとつひとつの意味合いを理解するのは至難の技だが、皆が丁寧に説明してくれた。ありがとう。そう言えば、先生や皆がそのフォームで踊っているのを見たことがある。

バラタナティアムの基礎となる108のポーズがお出迎え

ナタラージャ寺院

チダンバラムという町の名前は、タミル語で「意識の段階」を意味しているらしい。ナタラージャ寺院には、ダンシングシヴァ、ナタラージャが祀られている。チョーラ朝時代から、ナタラージャを家神として崇めていたようだ。

ナタラージャ寺院
寺院周辺では、年齢問わずバラタナティアムダンサーたちが鮮やかな衣装で行き交う

ナタラージャさん

ダヤ先生の研究所には、立派な”ナタラージャさん”が祀られていて、私がヒーヒーとアダブを踏む目線のその先に鎮座している。いつも静かに、温かく、厳しく、見守られている。だから、私にとって初めて身近に感じたヒンドゥー教の神は、紛れもなくナタラージャさんで、この寺院を訪問できたことは、とても特別な感じがしている。

滞在した寺院近くのホテルにもナタラージャさんが祀られていた
ナタラージャさんグッズ

ナタラージャ寺院前には門前街があり、お供えなどのほかに、ナタラージャ神の置物や、シヴァ神にまつわるグッズが多数販売されていた。ナタラージャさんのミニ置物(金属素材で価格が異なる)が気になっていたが、その後もシヴァ神のお寺に参拝するし、重くなるからまた後日買おうとスキップした。しかし、その後の門前街ではなかなか見つけることができなかった。ナタラージャ神の名のつくこのお寺だからこその品物数。ナタラージャさんグッズここで買っておけばよかった!(もしかするとチェンナイなど大きな都市にいけば見つかるのかも!)

ダヤ先生たちの奉納公演

ナタラージャ寺院では、朝と夜の2回、奉納の舞台を目にすることができた。早朝の公演は、少し高台になっている神殿のような場所で奉納された。神殿は、そこから目線の先に鎮座するナタラージャ神と対峙するする位置に設計されていた。神殿下のスペースでは、多くの人が水を手に取り、次々に祈りを捧げていた。五体投地する人の姿もあった。石の床はほんのり冷たく、けれど同時に温かさもあった。

見上げたその先の石の隙間からは太陽の光が差し込み、舞踊家のたちの姿をさらに神々しく映し出していた。「これから舞台がはじまるよ」とか「あっちで踊るらしいよ」などという観光的な案内はいっさいなく、祈る人たちは祈り続け、たまに人が立ち止まってはその様子を見届けていた。エンターテイメント的案内が皆無だったからこそ、先生たちの奉納はより一層神聖さを増していた。その後も、滞在中、この”舞台探し”が、寺に入ってからの私たちのファーストミッションとなる。

夜の奉納は寺院の一角で奉納された。内部は撮影禁止のため写真はないが、公演時の撮影は特別に許可されたので、こちらに貴重な写真を載せておく。

私たちは舞台前の一等席のスペースに座らせてもらい、奉納を間近に見ることができた。舞踊家たちのふとした表情や、動作のひとつひとつに釘付けになった。美しい音楽の調べに載せて舞う舞踊家たちはとても美しかった。ひとつひとつの所作の丁寧さに魅了されるダヤ先生の舞踊。これまでに、先生の舞台を日本で何度か拝見したが、その時とは少し違う表情、お稽古のときとも違う表情の先生がそこにいた。私たちのすぐ横で観ていたインド人の女性が、「あなたたちのグルなの?素晴らしい舞踊家ね。」と感動する声が聞こえてきた。舞踊は先生そのもの。帰国後、先生からお話が聞くのが楽しみだ。