赤崁樓

1653年オランダの統治時代、プロヴィデンシャ城(紅毛城)と呼ばれた建物がここにありました。その後、重なる人災や天災により楼閣は全壊してしまいましたが、れんがでできた城門と基台はオランダ統治時代のものが残っています。鮮やかな色使いが印象的な建物です。

赤崁樓

上の写真の手前が「海神廟」、後方が「文昌閣」。そして下の写真の左の建物が「蓬壺書院」です。建てられた年代も少しずつ異なるようです。

細部までこだわりが

激動の歴史のなかで、文化が折り重なり現在のかたちになったのだと、その変遷を間近に感じる場所でした。

オランダ統治時代の跡

セメントがなかった時代、赤レンガの接合には、砂糖水、もち米のとぎ汁、カキの殻の灰を混合したものが使われているようです。耐久性はどうなのか分かりませんが、最先端のサステナブル建築に思えてきます。

海神廟

海神廟は、海神の庇護に感謝するために建てられました。内部は、鄭成功に関する展示がされており、大規模な改修工事の様子も掲示されています。鄭成功は、オランダ統治から台湾を解放した立役者。プロヴィデンシャ城を包囲攻撃してオランダ軍を打ち破り、彼がオランダ人を降伏させている様子が表の銅像だそうです。小ネタとして、彼は中国人と日本人のミックスで長崎生まれなのだとか。

木のきしむ階段を登ると2階は解放的な空間です。豪雨だったのが残念でしたが、晴れた日に眺める景色は綺麗だろうなと思います。

色づかいが独特
美しい
縁起がよいとされる壺型の門

文昌閣

海神廟のすぐ隣には、教育振興のために建てられた文昌閣があります。太平洋戦争の最中に赤崁楼の修復に尽力した日本人「羽鳥又男」の像もありました。日本統治時代最後の台南市長を務めた人のようです。2階には、学問の神様とされる魁星爺が祀られています。

魁星爺

魁星爺は、右手に筆、左手には墨床、右足で亀の頭を踏みつけ、左足で星を蹴っているらしいです。鬼の形相でマルチタスクです。学問というより、仕事の神様でも良さそうですよね。。合格祈願の書き札が、そばに掛けられていました。

このポーズが頭から離れない。。マルチタスク。。

蓬壺書院

古書がたくさん

蓬壺書院は文昌閣と同じ時期に建てられた書院で、教育機関として使われていたようです。もともとは台南で最大規模の書院で地震により倒壊し、現存する部分がここに保存されているようです。

赤崁樓の窓、どこも印象的

贔屓(ひき)

敷地内には、9枚の石碑と、それを背負う9匹の亀の像があります。台湾で起きた反乱をわずか3カ月で治めたた武将「福康安」の功績をたたえ、乾隆帝が石碑に詩文を綴ったのだそうです。

この亀にみえる像、実は「贔屓(ひき)」という龍の子どもなのだそう。愛嬌のある穏やかな表情の贔屓さんたち。「龍が生んだ9頭の神獣のうち、1匹は重荷を背負うことを好む亀に似た動物である」という伝説に由来しているようです。日本語の「ご贔屓に」という言葉の語源なのだとか。