遠野の養蚕業

養蚕業

養蚕業は、カイコを飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業です。ここ遠野でも、養蚕文化が根付いています。

ちなみに、先の記事にも書いたオシラ様の伝説は、中国の“馬娘婚姻譚”を踏襲して養蚕の起こりを伝えたものだと考えられています。

まず、カイコを飼うために桑を栽培して繭を生産します。繭を絹にするために製糸工場で繭から生糸へと加工され、生糸をさらに加工して絹織物などの繊維になります。

カイコ

カイコは桑の葉を食べる昆虫です。卵・幼虫・さなぎ・成虫の変態過程を経て1世代を完了します。さなぎの時代は、外敵から身を守るために繭(巣)を作ります。繭は、幼虫の体内にある1対の絹糸でつくられる繭糸によって構成されています。人はこれを利用して絹を作ります。

養蚕業は、弥生時代に中国大陸から日本に伝わったとされています。かつては日本の主要産業でしたが、1929年の世界恐慌をきっかけに、ナイロンの普及、輸入絹織物の増加、後継者不足や円高などが重なり、絹製品の需要は落ち込んでしまい、時代とともに衰退していったようです。

あゝ野麦峠

”養蚕”と聞くと、小学生の頃、「あゝ野麦峠」を見て意味がわからないままに絶望感と虚無感に襲われた記憶が蘇りました。時代背景がいまいちピンとこないなか、カイコって何?え、虫?虫から糸?未知の虫を使って仕事をするために危険な雪道、峠越え?理不尽な目にあうために?え、あの世界はなに?時代を感じる映像に戸惑いの連続でした。

個人的には、また見たいとは思いませんが、あの製糸工場の風景が、私が”養蚕”に抱くイメージでした。あの映画で初めて”カイコ”を知った衝撃は忘れません。

ドラマの舞台は遠野ではなく、岐阜県飛騨地方の女工たちが長野県の諏訪、岡谷の製糸工場に出稼ぎに出る話。明治から大正期にかけての話です。

糸取り体験と繭玉

遠野の伝承園では、糸とりの体験ができます。突如、ぽつねんと置かれている糸紡ぎの機械。

ソバさんが呆然と無言でたたずんでいました。

ねえ、これさ、、、、やり方わかる?

ねえ、これ。

え、、、繭、いきなり初対面(慌)

”やってみよう!”と簡易な説明書きがあるだけで詳細が全くわかりません。

「こういうところって、学芸員さん横について手取り足取り教えてくれるタイプの場所だよね(汗)まず何から手をつけていいかすらわからない。」と2人して都会風を吹かして戸惑っていると颯爽とやってきた砕石さん。

!?

躊躇なく繭を取り出し糸を引っ張り、機械にかけはじめました。

祖父母が養蚕業をしていて、幼い頃、カイコが大好きだったんだ。カイコと一緒に寝る!というくらい愛でていて、祖父母に褒められたものだよ。

2人して軽くカルチャーショックを受けながら、砕石さんの糸とりを眺めていました。

P.S. カイコの糸は想像以上に細かったです。