”旅”の整理

浦島太郎のひとりごと

数年ぶりに関西の夏を過ごしている。意図しているわけではないが、夏は関西を離れて避暑地のような土地で過ごすのが通例になっている。だから、今は季節を間違えて帰ってきた浦島太郎の気分で暑さに悶えている。

4月にこの場所を離れ、今またこの部屋に座っている。とても長い旅だったような気もするし、一瞬だったような気もする。他の人から見れば何も変わっていないかもしれないけれど、陽に焼けたし、心地よいと感じる音が少し変わったことは結構大きな変化だと思う。そして、確かに”少し”違う自分を感じている。具体的な言葉で表現しづらいが、内面的なものだ。

大阪時代のホーム、船場界隈を久々に訪れた

旅が好きなのでSNSでのリアルタイム投稿をすすめられることもあるけれど、このブログで気が向いたときにゆるっと書くのが結構気に入っている。ゆるっとでも一応続いているのでよしとしよう。感じたことをその時に発信すれば、新鮮な記録になるに違いない。何か大事なことを忘れてない?と曖昧な喪失感を抱くことも少ないだろう。イギリス旅の記事を途中放棄してしまっているのも、実は少しだけ気にはなっている。4月から今に至る”旅”の記録も、撮りためた写真を思考に変換すれば膨大な情報量だ。あと、書いていない間に、エディターの仕様も少し変わったようだ(また聞かなきゃ)。

”旅”の(脳内)整理みたいな作業は面倒だがおもしろい。それぞれを記事にして詳しく書きたいことは山ほどあるけれど、まず旅のあらすじをまえがきとしてここに残しておく。

”旅”のあらすじ

小豆島、修験の地

4月特有の空気感を感じながら船に乗り込み、私は小豆島に着いた。その土地に降りたった時に感じる匂いや雰囲気、音はさまざまだが、ここ小豆島はノスタルジックだった。小豆島に来るのは初めてではなかったが、この島にしばらく住んでみて、旅の時には描けなかった”島の地図”が出来上がった。それは、地名などの地理的な話と、島の人との交流や実際に足を運んで感じた土地の感触やイメージでもある。

海と山が同時に望める島ライフ

島の地図がとても色鮮やかになったのは、この土地で出会ったたくさんの友人たちのお陰だ。心の奥から通じるような温かい出会いに恵まれた。年齢も職業もバラバラ。温かな出会いは人と人を繋ぎ、何年も一緒にいる家族のような、むしろそれを超えた心地のよいコミュニティーだった。昼夜深い話をし続けたこともあったし、ただ地面に寝転がって夜空を眺めるだけのこともあった。いつしか、この島に来たのは、皆に会うためだったんだなと思うようになった。いつも側に寄り添ってくれたあんちゃん、ダイヤくん、ありがとう。その心地の良さに、昨年のエミリーのリトリートを思い出していた。

島の夜は少し肌寒く、虫のさえずりが大きく響いていた。思わず窓を開けてみると、幼少期に嗅いだことのある自然の匂いがした。いつからだろうか、地元ではもうこの匂いがしなくなった。

島のバイブル

いつものように、同僚の皆さんにも地元の情報をたくさん教えてもらった。以前観光で訪れていたから、ある程度は知っているつもりでいたが、全く知らないのと同じだった。島に来たばかりの頃、修験の話で盛り上がり仲良くなったおたけ姐さまから、島に関する本を3冊貸してもらった(結局島を去るまで借りていた)。実際、私の島生活はこの本をなぞって成立していた。移住組が島で遭遇するおや?と思うことのあれこれ、他の本に紹介などされないであろう秘境などは、ここで知った。

一時帰還

皆と離れると思うと少し名残惜しさはあったが、7月に島を出た。なに、皆に会いにまた帰る気がしている。ご縁が重なり、帰ってくるなり大阪万博や参院選応援にも足を運んだ。ここでまた新しい出会いもあり、思いがけず新鮮な経験ができた。今後の展開も楽しみだ。俗世から離れた仙人ライフに憧れているが、同時に今の時代の大きな変化も感じている。さわこさん、ギョ、声をかけてくれてありがとう。

炎天下の万博

”今”を感じる旅

そして、漂泊の思いやまず、バッザとともに旅に出た。旅のスタイル、人生への向き合い方、選択の仕方、文化の違いなど、話のネタは尽きず、彼や旅先で出会う人たちから多くのインスピレーションを受けた。いろんな感情に揺さぶられて戸惑うこともあったが、私たちは”今”を見つめながらお茶を飲み、流れるように旅を続けた。事前に綿密に計画するタイプからすれば、このスタイルは憧れである反面、新たな挑戦だったが、私ひとりでは見えなかっただろう景色をたくさん見ることができた。自分の感覚を大事に拾いあげていく感じだった。

2人とも自然が好きなので多くの時間を自然豊かな場所で過ごしたが、旅の前半には広島市内にも滞在した。広島、長崎の土地に立つと、小学生の頃に語り部の皆さんから聞いた話を思い出す。彼にもその話をした。時代は変わり続けるが、自然は昔の姿を残している。歴史を見てきた川を隔ててドーム向かいの丘に座り、私たちはお茶を飲みながら、深い祈りのメディテーションをした。目を開けると、どこからともなく祈りの音が聞こえてきて、舞うような踊りを捧げる人たちが現れた。

フィクションのようなノンフィクション。けれど、すべては必然的であるらしい。そして、自然のなかに戻って感覚を取り戻す。人も自然の一部なのだ。文章で書くと陳腐でどうも的を得ない表現になってしまうけれど、頭で論理的に考えるより全身で感じましょうという感じ。

たくさんの新しい気づきがあった。まだ夢見心地の部分はあるけれど、旅の最後まで向き合ってくれてありがとう、バッザ。今後の旅も良い出会いがありますように。

猛暑のなか、日常に戻ってもいつもと”少し”だけ違う私は、少し熱っている。例年とは”少し”違う8月の周波数のなかで。