未来に伸びるベクトル

ここ数ヶ月のことなのか、数年のことなのかははっきりわからないけれど、変化を感じている。これが、年を重ねるということなのかもしれない(この言種は、80歳を笑わせるらしい)が、決してこれまで長い間、強くは感じてこなかった気持ちで驚いている。それは、若い世代を思う気持ちだった。文字にすると、よほど高齢の人間か、上から目線のイキがる中年の言葉のように聞こえてしまうのが嫌だけれど、仕方がない。

これまで、経営者の方や精力的に社会奉仕活動をされている方から、「もう自分を満足させることに特に興味がなくなってしまった。それよりも後の世代のことを考えたときに、こうやって体が動くんだよ」というようなことをしばしば耳にした。もちろん、ビジネスが背景にあった人もいたかもしれないが、皆自分よりもかなり年上であったので、年齢がそうさせるのか?綺麗事を言っているだけか?と怪訝に思ったことがある。それに、母となった友人たちは口を揃えて「自分よりも子どものことをいつも最初に想う」と言う。両者性質は違うが、後の世代を慈しむ気持ちから出てきた言葉だと思う。

この気持ちはいつか自分にも芽生えるのだろうか。

今まで、人と知り合うのに年齢を気にしたことはあまりない(これは以前にも書いたことがあるのでここでは省略する)。年齢を気にするメインストリームに乗りたくないという天邪鬼的な性質も大きい。年齢は統計上の何かの目安になるかもしれないが、結局、何事もその人自身なのだから。後輩を指導する立場になることもあったが、彼らに対しては”戦友”だと思って接してきた。私が昔憧れた”理想の上司像”には程遠いが、これが私だから仕方がない。上からではなく横並びのイメージ。

だから、最初、この考えが自分にも芽生えたことに驚きを隠せなかった。もちろん、自分を満足させることに興味をなくすまでにはなっていないが、自分のことだけ考えるのは少しつまらないような気がしてきたのだ。”温故知新”で勉強になることはたくさんあったが、現在から未来に伸びるベクトルをもう少し鮮明に見てみたい。

ギャルたち

最近、何人かの20代前半のギャルたちと話す機会があった。ハイトーンロングのヘアスタイル、ミニスカ、ちゅるんカラコンに束感まつげ、シャイさも混じった喋り方とちょっとトゲトゲしい態度。なんか、かわいい。

数時間、とりとめのない話をしていて、彼女たちの未来には無限大の可能性があるように感じて、とても楽しかった。彼女たちと同年代だった頃、上の世代からこういうことを言われて、「事情を知らないからそんなふうに言えるんだ」と行き場のない焦燥感に翻弄されていた記憶もある(言われたことを素直に認めないあの感じ、あ、これは今もそうかもしれない)。だから、そんなことはわざわざ言葉にしなかったが、初めてこの意味が理解できた気がした。大叔父が「一緒に話してるとおもしろいわ」といつも笑顔で言ってくれるのも、こういう感じなのだろう。

偶然出会った美容師から「君の感じならきっとあの土地気に入るよ」と聞いて行き先を決めたメルボルン。旅先で出会ったハイキング狂のドイツ人たちに勧められて始めた山登りなど。挙げればキリがないくらい、偶然の出会いに導かれて、いろんな景色を見てきた。とは言っても、それはまだほんの一部で、見えていない景色がまだたくさんあるはずだ。

別れ際、少し照れながら見送ってくれた。

知らなかった景色が見えた気がしたんです。初めて聞く話ばかりだったので。お話聞けて楽しかったです。

そんな偶然の出会いに導かれて彼女たちも、どこかに向かうのだろうか。この先ふとしたときに、交わした言葉を思い出してくれる瞬間があると嬉しいなと、ちょっと姐さんになった気分でその場をあとにした。そういえば、最近LANAをよく聴いている。