本日は「山の日」ということで、山にまつわるお話を。

独特の景観が魅惑的だったサンミゲル島ハイキング

首都ポンタデルガダからバスに乗り込み、バス停もなにもない場所に降り立った。フェスティバルの時期でバスのダイヤは随時変更され、帰りのバスも詳細不明だった。目に飛び込んでくる野生的な景色に感嘆しながら最後のルートに差し掛かる。その時、鎖と鍵が絡まった頑丈な鉄の扉と、よじ登るにはいささか高い柵が行手を阻んでいた。状況がのみこめず唖然としていると、

「越えるしかなさそうね」急に声がして振り返った。ここアゾレスでは、ハイキング中に人に出くわす頻度は少ない。3人でリュックを反対側に投げすて、鉄の柵を渾身の力でよじ登る。彼らと、ルート合ってるよねえ?なんて話しながら残りのルートを歩いた。

「よかったら乗っていきなよ。自分たちもポンタデルガダに戻るんだ。」ドイツ人ご夫妻の車に乗せてもらい無事帰宅することができた。車中は山の話で持ちきりだった。

旅と山

旅=街歩き”だった私の概念を変えたのは、ヨーロッパ周遊旅がきっかけだったように思う。バックパッカー装備のためにアウトドアギアや山ギアの知識だけは少しばかり仕入れていたものの、それだけだった。山に行ってもロープウェーやゴンドラを駆使したし、到着駅は最終地でしかなかった。歩くと言えば、交通の便の悪い駅から宿泊地までといった具合。

旅のスタイルをバックパックに変えたことで、今までに出会ったことのないスタイルの人たちと出会うことができた。ことのほか、あの旅では、山に魅せられた人にたくさん出会うことができた。皆、時間があれば自然の中に身をおくことを好み、今日は天気がよかったから急遽予定を変更しこの山にきたのだと話してくれた。彼らが、山について語るときの目はキラキラとしていて、この人たちは本当に山が好きなのだなと感じずにはいられなかった。

ゴンドラからアイガー北壁を眺める

人をそこまで魅了する”山”ってなんなのだろう。その懐疑心と好奇心から、山と密接した私の旅スタイルがスタートした。

山と私たち

山に行くと、町では見ない植物や昆虫、動物によく出会う。よく”山におじゃまする”という言葉を聞くが、その光景を目の当たりにすると、そこはやはり彼らのお家なのだなと感じることが多い。じっと静かにそこで生きている。植物は、そよ風に吹かれて別世界のメロディーを奏でていたり、危険な岩場では絶妙な位置からそっと手を貸してくれたりする。山で濾過された水の透明度は高く、山行で熱った肌を清々しく冷却してくれる。その目的では、冷えピタなんかは便利かもしれないが、やはりこの山の水というのは別格なのだ。だから、ゴミは持ち帰りましょうとか、自然を傷つけないようにしましょう、とかの呼びかけがなくても、彼らの空間を汚すことはご法度に感じる。

ピコ島ハイキングの山中、突如怪しい雲がたちこめ鳥たちが騒ぎはじめた

この彼らの空間に、”不便だから”とか”面倒だから”といった人間の価値観を当てはめるとうまくいかない。しかし、山は私たちの住む町と密接につながっており、水や土や木といった直接的な資源だけでなく、間接的にも数えきれないほどの恩恵を受けて生活している。近年、世界中でもはやカウント不可能なほどに甚大な自然災害が頻発している。多くの人が感じているように日本も例外ではない。気候変動へのアクションは早急に進めていかなければいけない。

一歩山に入ってみると、何か感じることがあるかもしれない。興味がなければ、山歩きをしなくともただ涼しい風に吹かれてみるだけでもいいと思う。

環境活動家の露木しいなさん。地球温暖化における山や海の役割について。

気候変動に対するアクションにはいろいろな形がある。調べるなかで、そんなことが気候変動と結びついているの?と初めて知ったこともたくさんあった。言葉だけではその因果関係が全く見えてこないのだ。そして、気候変動は、個人の行動だけでなく社会の構図と密接に絡み合っており、その根幹は巧妙なベールに覆われている。シリアスなドラマや巧妙な筋書きの犯罪映画かと思ったほどである。もはや、特定の団体や組織が悪いというのでなく、そういうシステムを私たちが選び作りあげてしまったのだ。知らないうちにそのシステムの流れに加担していた、ということだけは避けたい。