ほんものが見たい

この見えてる世界は

いたるところで、AIで生成されたものがあふれている。少し違和感の残るものから一見分からならいものまで。ものすごいスピードで進化しているし、ますます便利になっている。今やどのコンテンツにもAIが活用されていて、私たちは知らないうちにその恩恵を受けている。詳しくはないが、私が一番身近に感じるところでは、英語の学習がそのひとつ。

散歩中の不意打ち写真(私はこんなのはAIで生成しようと思わない)

最近、偶然、AIを活用した画像生成の工程を目にしたのだけれど、その作品の精度があまりにも高くて驚いてしまった。広告の仕事をしていてプロたちが活用する光景はこれまでにも度々目にはしてきたが、これは、素人が一瞬で作り上げてしまう虚構の世界だった。ここまで精巧になると、もはや何が本物かわからないし、全てが嘘くさくも見えてくる。

この見えてる世界はほんものなん?

ふと、友人たちの子どもたちの姿が目に浮かんだ。AIが身近にある幼少期、学生時代はどんなだろう、もうちょっと想像がつかない。ただ、私たちの世代よりももっと、実際に自分の目で見たり体験したりする時間を過ごしてほしいなと思う。なんでも簡単に調べたり見れたりしまうから、結構リアルってアドベンチャーだよって。その試行錯誤や労力が後で役に立つこともある(ただのヒヤッと事例も多い)。年始にも書いているけれど、今が一番楽しいと思えるのは、それは多分、これまでのアドベンチャーのおかげだと思う。

なんでも新しく出てきたときは批判されるんだよ

私は17歳のとき、クラシックミュージカルに出会って世界が変わった。当時、CGが使われている映像を見るのが日常にあって、このハリウッド黄金期の作品との出会いは衝撃だった。歌やダンス、演技、全てが”ほんもの”だった。確かに、ロケ撮影はおろか、ほとんどが撮影所で撮られた、ある意味”作られた”世界ではあるのだけれど。ルーニーとジュディーのシリーズは箱庭シリーズなんて呼ばれているし。美術担当が精巧に描き上げた絵画を合成した背景まで存在する。とてつもない時間と労力をかけて作り上げられた作品たち。当時の映画関係者たちによるドキュメンタリーを見ていると、その裏側は結構興味深い。

ミュージカルピーポーになったきっかけ「雨に唄えば」

AIが作り出すものは、従来、クリエイティブな人たちが魂を込めた作品だったはずだ。と言うと、AI否定派と思われそうだが(いつもなにかと天邪鬼だし)、完全に否定しているわけではない。クリエイティブなことをして人が楽しむ部分は、ぜひとも残しておきましょうよと思っている。

ちょっと、書くの楽しんでるんやから、勝手に分析してそれっぽく書かんといてくれる?この感じ

効率化を求められるビジネスでは大活躍かもしれないけど、なんかさ、もうゆっくりとほんもの見て楽しく過ごしたくない?それに、映像や画像に限らず、人の手で時間をかけ心をこめて作られたものを手にするとき、とても心が温かくなる感じ。共感する人も多いのでは?

「雨に唄えば」では無声からトーキーへの変遷で巻き起こるドタバタ劇が描かれるが、ふと劇中のこの言葉を思い出した。

なんでも新しく出てきたときは批判されるもんなんだよ

さて、この見えてる世界は。私は、ますます五感で感じるリアルな”ほんもの”に惹かれている。