体を動かすこと
運動と心身の関係
最近、「ヨガかなにかされているのですか?」とか「バレエかなにかされている方ですか?」とよく聞かれる。確かに定期的に山に登るし、気が向いたときには走っているが、毎日のルーチンに組み込んでいるスポーツやジム通いはない。私たちも自然界に生きる動物なのだし、適度に体を動かすほうが心身の健康にいいとは分かっている。毎日のヨガは理想的だが、驚くほど体は硬いし、できる限り動きたくないと思うときも多い。だから、そう言われるたびに、少し気恥ずかしくなって背筋が伸びる。(修験道や登山の話を盛りすぎているかもしれない)
しかし、いったん山に入ったり、走りはじめたりすると、無性に体を動かしたくてたまらなくなるのは事実だ。ロンドンでは、休日に古典舞踊のレッスンに通っていた。実際、教室に着くまで「休みの日にわざわざ早起きして、厳しいレッスン受けに行くって、、私なにしてんの?」なんて後ろ向きな考えがチラホラ思い浮かぶのだが、いったん体を動かし始めると、心も体もスイッチがオンになったようにスッキリする。結局、私たちも立派な生き物なのだ。先日、イギリス旅の話をじっくりと聞いてくれたおたけ姐さまが、「想像以上にストイックな生活をしていたのね」と少し驚いていた。
なにかと意図せずストイック。

体を動かすことは生きること
現在、特にスポーツは何もしていないが、学生時代は部活動が全てだった。テニス部に所属していたが、思い返せば、時代を感じるその練習指導風景は、今の時代ならコンプラ違反だとかなんとかすぐに問題になりそうだ。まだ日も出ていない早朝に朝練に向かい、放課後はボールが見えなくなる暗闇まで練習に明け暮れた。休みは、正月の3日間。”学校の先生”として休みなく指導にあたってくれた敏腕顧問も、今思い返せば頭が上がらない。大人になってみるとその凄さがわかる。スポーツ校でもないし、皆普通の学生だったが、強豪校の看板を背負っているという誇りと自覚を誰もが持っていて、練習に取り組む姿勢にはそれが表れていた。先輩は体育の教科書に写真が掲載されていたし、私たちもそれなりの数のトロフィーを獲得した。
しかし、実を言うと、その当時から特にスポーツが好きなわけではなかった。むしろ体を動かすのは苦手だったし、どちらかと言えば美術部や管弦楽部のほうが性に合っていると思っていた。しかし、”運動部の方がいい”という周りの謎の風潮に流されて運動部に入ったのだった。そして、スポーツが苦手だったはずの人間が、めきめきと”運動の人”になっていく。この件に関しては、誰かの意見に流されてよかったと心の底から思っている。今なら、流されないだろうから。思春期も重なっていろいろあったが、鬼練習を一緒に駆け抜けた戦友とは今も強い絆で繋がっている気がしている。なかなか会う機会も減ってしまったが、会えばすぐに”テニス部”に戻る。そして、精神面はいわずもがな、これまでに体力面でどれだけ恩恵があったかを皆でしみじみと噛み締める。当時、練習は厳しくて辛かったが、基礎体力をつけてくれた部活動と支え合ったチームメイトにはとても感謝している。
こうやって思い返して強く思うのは、”比較的体力のあるうちから、ある程度運動はしておいたほうが後々役立つことが多い”ということだ。私の場合、部活動でのしごきがなければ、35kgのバックパックを携えて旅をしたり、日帰り15時間縦走をしたりなんてしなかっただろうし、仙人修行を申し出ることも、急にダンスを始めてみようなどと考えもしなかっただろう。
体力お化けの子どもの真似は不可能だし、アスリートでもないし、活性酸素が大発生するレベルの激しい運動をしても今の自分にはマイナス面しか思い浮かばない。しかし、何かを始めようと思ったときに強く後押ししてくれるのは、結局これまでに積み重ねて獲得した体力だ。年齢が上がるにつれて、年齢を何かと理由にする人たちも増えてくるなかで、それは自信にもつながってくる。(くれぐれも過信はせずに)
だから私がスポーツや体を動かすことに求めるのは、競技の勝ち負けなどではなくて、己の鍛錬に近い。体を動かすことは生きること。
しなやかな動きに憧れるさんさ踊りをBGMに、どこまでも限界を攻めるチームイーストウインドの投稿を眺めている(アドベンチャーレースかっこいいよね)。
私は踊りたくなってきた。