毎朝、自宅の窓から眺める青い山が気に入っている。窓を開けて、自然学校を思い出すような冷たくて爽やかな空気を吸い込む。非日常でしか味わえなかった空気が日常生活の一部になっている。”山なんてどこでも見れるよ〜笑”と職場の方が言っていたように、買い出しに行くときも、散策に行くときも、常にこの青い山に囲まれている。

お山で毎朝天気予測

大学時代は片道2時間半の電車通学、社会人になってからも2時間近い電車通勤をしていたこともある。無表情で疲れきった顔の人たちが詰め込まれた満員電車に乗り込み、到着時にはすでにヘトヘトになっていた。もしものために家を早めに出るものの、頻繁に起こる人身事故で乗り換えはうまくいかず、時間にも間に合わず、負の連鎖が続く。これが無表情の仮面となり顔面に貼り付けられる。ある程度の通勤時間は、好きな音楽やポッドキャスト、読書など、業務開始までの導入儀式のような役割を果たしてくれるが、それでも毎日の満員電車は息苦しく感じる。いかにこの長い電車時間を楽しく有意義に過ごすか考えたこともあったが、結局疲れて眠るのがオチだった。学生時代なんて、図らずも終点までプチトリップしたり、車庫送り(&鍵閉め)になったことまである。今考えると、よくそこまで爆睡できたなと感心する。

現在は徒歩で通勤している。これまでにも徒歩通勤の経験はあるが、以前にも増して軽装だ。新卒の頃、スーツのポケットに財布だけ突っ込んで飄々と通勤していた(一部の)先輩社員に憧れたこともあったが、この周囲環境を考えればあの憧れスタイルを超えた感じがある。在宅ワークも一気に加速した感じがあるが、通勤するのであれば、このくらいがちょうどいい。

通勤時間ほど無駄なものはないよ

先日、人生経験豊富なT先生と話していた。そして職場の皆も近隣に住んでいる人が多い。”ムダ”を省いて感じる一番のメリットは気持ちのゆとり。「職場と家が近いと、うまく切り替えができないんじゃない?」徒歩通勤の際にそう聞かれることもあるけれど、全く感じたことがない。今回も然り。

狭くて逃げられない檻に閉じ込められ、精神を蝕むほどのあの通勤時間ていったい何だったんだろう。

町を歩いているとよくある感じの絵

この地域のことをよく知っている職場の人たちから、貴重な地元の生情報を聞けるのも最近の楽しみのひとつ。