素顔同盟

学生時代は現代文より古文派だったが、当時から鮮烈な印象を残している現代文の作品がある。教科書に載っていたその鮮烈なタイトル作品は、授業の前に早々と読んでしまった。

コロナ禍当初、まっ先に頭に思い浮かんだのはこの作品だった。妙な後味を残す作品でずっと記憶に残っていたが、まさかリアルにマスク社会になろうとは当時考えもしなかった。

この本は絶版になっているらしいが、以下で作品全文が読める。

短編なので一度読んでみてほしい

学生時代は、友人たちやクラスメイトとの楽しい思い出も残る一方で、どこか”窮屈さ”を感じる空気感を覚えている。

目立つことなかれ

この独特の感覚は、程度の差はあれ、日本で教育を受けた人なら分かる人も多いのではないだろうか。それぞれにポジションが与えらえれ、暗黙の了解を悟ることが要求される。日本社会で生きるのに必要な”均一”と”無個性”の感覚が枠のなかで育てられていく。ティーンエイジャー独特のやるせない厭世感、退廃感も相まって、”窮屈さ”が極限状態になったときもあった。そして、これは学生時代の終焉とともに終わるかと思いきや、社会に入っても形を変えて同じような枠組みに組み込まれる。これは、特定の誰かによってもたらされるものではなく、社会そのものの性格なのだと理解できた。

「素顔同盟」では、”円滑な”社会を実現するため、”笑顔の仮面”着用が義務付けられている。最近では”忖度”という言葉がよく聞かれるが、今で言うなら、”忖度仮面”の法制度化と言い換えれるだろう。”忖度仮面”は真実を隠し、曖昧さを体現する。この作品は1988年の作品らしいが、現代にも通じる社会構造を反映している。

コロナ禍とマスク

10年前のベネチアのショーウィンドウ、この独特の表情が結構好きだ

日本文化と欧米文化

コロナ禍当初、日本好きのフランスの友人からこんなことを言われた。世界的にマスク着用が推奨されるようになってきていた頃だ。

日本人はコロナ禍前から日常的にマスクをしてるから別に違和感ないでしょ?マスクで表情も感情もわからないんだよ!僕らはこれが本当に奇妙な光景に思えて仕方がないんだ。

「マスク=重病患者、目より口でものを語る欧米文化」と対をなす日本文化の違いである。

マスク着用の是非については置いておくとして(今現時点においては個人がそれぞれ思うように判断すればいいと思っている)、この熱中症の時期になり、まだマスク着用云々の問題が提起される事態には辟易している。

マスクの実際

そもそもの話になるのだが、大学の微生物学の講義で、ウイルス、最近、花粉等その径の違いについて細かく学んだ。試験でその径を間違えるなんて凡ミスは、講義を受けていればまあ正直考えられないことだ。(たいがい一問目のサービス問題になっている)。だから、市販の花粉用マスクは花粉対策としては有効だが、ナノの世界に住むウイルスには全くもって要をなさないことは明白で、学生時代のアルバイトでも度々その違いを説明してきた(何倍もの値段で売られているN95マスクは別)。

それなのに、網目の荒いマスクまでもが有効という説が流れたのは、おそらく確率の問題が大きいように感じている。ミリの網目に引っかかるウイルスも確率的にはゼロでなく、非着用時に比べて体内に流入するウイルス量は若干数であれ減少するはずだ。

今ではすっかりラボの生活から遠ざかってしまったが、日々の実験データや、論文発表のデータでその有意差をどのように表すかは、全てではないにしろ、ある程度、”見せる(魅せる)”ことができてしまう。(マスクで言えば、そう、”増加”せず”減少”しさえすればいいのだ)

かと言って、日本の誇るべき公衆衛生を支えてきたマスクの役割は大きく、全否定するつもりもない。リスクとベネフィットをわきまえた判断が必要なだけだ。

日本のマスク社会

先に、フランスの友人から、「マスクで表情が読めない!」と言われたといったが、今、日本でマスクがなかなか外せないのは、実際的なウイルス感染防御ではなく、心因的なものが大きいように思う。

ベネチアでは仮面がいたるところで売られており、今でも自室に1つ飾っている

日本人の自殺率は(残念ながら)、先進国で堂々の1位だ。閉塞感は日本社会に蔓延している。素顔同盟のようにマスクは”着用義務”ではないはずなのだが、”感染対策”という大義名分のもと心理的にもはや義務化されていると言っても過言ではない。これは、ソーシャルディスタンスが成立する地方の田園地帯においても着用している人が大多数であることからも実感できる。

”マスクを外したいか”という個人の意志ではなく、”マスクを外してもよいか”という集団意志が大きく働く。表情を隠した皆と同じ仮面は、日本社会で安堵をもたらすのかもしれない

これも海外の友人の言葉だが、これはある種日本で歓迎される素質のようにも思えた。

日本の文化は好きだから、別に攻撃するつもりはないんだけど、日本のアイドルって同じような衣装、髪型、表情で、皆アンドロイドみたいって思うことがあるよ。

皆、笑顔の仮面をつけていることが推奨されているように感じるときがある。

この仮面はある意味で便利かもしれないが,ぼくにはひどく味気ないものに感じられた。寂しい時は寂しい顔を,悲しい時は悲しい顔をしたかった。

素顔同盟

素顔同盟で、”ぼく”はある決断をする。集団意志ではなく個人意志に沿った選択だった。誰かに決断を委ねて流されるのは簡単だが、疑問を持ったのなら、”素顔同盟”を覗いているのもいいかもしれない。

自分と反対意見を論破したり、糾弾したり、二項対立構造は好まない。いろんな意見の人がいていいじゃない、自身の意見で動きましょうよというお話。