手放すそのときに

長い長い旅だった気がする。日常生活に戻るにはまだもう少し時間がかかりそうだ。だから、旅の回想前にとりとめのない話をしよう。前説だけで講義の半分は使ってしまった伝説の(そう、もう本当に伝説になってしまった)K教授のように。彼の特筆すべき点は、この前説のほうが講義よりもはるかにおもしろかったこと。天才の皮肉屋。難解な彼の講義で鮮明に覚えているのは、主にこの前説なのだ。

モノの記憶

部屋には、旅の前に集めた”断捨離予定”のものが重々しく積み重ねられている。何かを手放すときは、振り返らないようにするのがいい。どうせ初めからそこになかったかのように過ぎていくのだから。

そうは思うものの、モノを手に取ると記憶が鮮明に蘇ってくる。

ファッションにまつわるあれこれ

ワオ、あなた、いいセンスしてるわ!

グアムの書店で両手にあふれんばかりのファッション雑誌を抱えてレジへ持って行くと、店員さんたちが目をまんまるくしながらバーコードを通してくれた。その”ファション雑誌”たちは、それまで私が読んできた日本のそれとは全く違うもので、全て4、5cmほどの分厚さで重厚感があった。中身もさながら写真集。このVOGUEが120周年記念号であることを差し置いても、そのほかの雑誌にも同じような熱量があった(既に手放しもう手元にない)。これらもきっと「プラダを着た悪魔」や「アグリーベティ」のような、戸惑いと怒涛のカオスをくぐり抜けて発刊されたのだろう。偉大なプロたちの手によって、究極の美しさにカオスは一切感じない。これは映画にも言えることか。

カバーガールはGAGA

新卒の就活時、製薬メーカーと並行していくつかの大手出版社採用試験を受けた。畑違いなのは承知だったが、途中まで進んだ選考に浮き足立っていた。結局、選考には落ちたがファッション誌編集にずっと憧れを持っていた。

そういえば、こんな言葉があった。

話を聞いているとね。君の場合、やり直さなくてもいいんじゃないかな。ここから積み重ねていけばいい。

”興味のないことばかりをやってきた気がする。やり直したい”

何気なく呟いた私の言葉に、面接官は丁寧にそう返答をくれた。私はその会社の新入社員になった。あれから時は経ったが、何か積み重ねてこれただろうか。もう一度あの面接官にそう尋ねられたならば、笑顔ではいと答えるだろう。笑顔の理由はいろいろあるけれど(笑)

そうして新卒で就職した製薬会社学術の職を辞め、その後グラフィックデザインの勉強をはじめたが、まだ、あれやこれやとひたすらに迷走していた。そんな矢先、出会った雑誌のひとつがこれだった。ページをめくると漂う紙とインクの匂いに当時の記憶が蘇る。あてのない焦燥感。

カバーガールがガガだったのは無意識だったが(さすがVOGUEというか、ただただ本屋のディスプレイが最高に美しくて買わない選択肢はなかった)、せっかくなので久しぶりに彼女の曲を流してみる。

I don’t wanna be alone forever
but I love gypsy life

Gypsy-Lady Gaga

当時共感した歌詞の一節に今も共感してしまったことに思わず笑ってしまった。

ただ、当時と違うのは、ファンシーな衣装よりも作務衣や山服のほうがなんだか心地よく感じること。手持ちの全てを作務衣にしようとはまだ思わないけれど(笑)

SATCムービーのルックブックにもため息

今もドレスアップしたり、ファッションのことを考えたりする時間はウキウキするが、以前ほどではない。思考も変わったし、時代も変わった。一般的に”年齢を重ねると似合う服や好みが変わる”とはよく言われる話だが、それもあるのかもしれない。(先日、20代で履いていたスカートを久々に履いてみたが、違和感満載で滑稽だったので手放すことにした)

それに、本や雑誌を見るときは外側にいるほうが平穏だ。内側で美しさに耽溺する余裕などはない。すでに別案件の校了と新たな案件のミーティングが控えている。それぞれ億単位の予算が組まれているのだ。それはそれでやりがいがあって間違いなく楽しいのだが、生きることが仕事一色になったとき、歓迎されない突飛な考えやコントロールできない感情が揺さぶってくるのも事実である。決してキラキラだけではない。これは、その後広告代理店勤務を経て得た知見である。

モノを手放したあとにも、情景と言葉の思い出は残る。けれど、日々の生活のなかでその記憶を呼び起こすのは少々手間取る。なので、こうやって残しておく。