これまでに大きなインスピレーションを受けた人物は何人かいるが、レイチェル・カーソンもそのなかの一人である。

センセーショナルな問題提起

アメリカの海洋生物学者であり、世界で初めて環境保護の問題を提起した人物、レイチェル・カーソン。科学者として自然の生態系を愛し、その研究過程で悲惨な現実に直面する。自然を愛するがゆえに相当な切迫感と義務感があったようだ。化学物質全盛期を迎える1960年代、農薬散布による環境被害の実情を科学的な観点から徹底的に調べあげ、政府やケミカル業界に情報公開を強く求めた。全米、全世界に対して、自ら”出る杭”となったのである。

短期的な視点から見れば便利な合成化学物質。その恩恵を強く受けはじめた当時の時代背景を考えると、それに対する告発は相当なものだっただろう。カーソンが問題提起した農薬のように、急性毒性のみならず長期毒性をもたらす化学物質は、遺伝的な影響もはかりしれない。食物連鎖による生物濃縮も然りだ。しかし、これに対する業界の返答は「お前、独身で子どももいないじゃないか。」だったという。はやる気持ちをおさえ、順序を守ってエビデンスをつきつけた科学者に対して、なんとも驚きの返答である。

サンミゲル島の小さな田舎町マイア。どこでも天然プールが楽しめる。私はポルトガルで海の楽しさを知った。

カーソンとの出会い

大学時代、専攻する薬学分野に全く興味を持てなかったのだが、そんな折、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」に出会った。これまでに抑圧してきたあの”地球に対する使命感”と共感したのだ。エビデンスに基づいて、環境中にはびこる化学物質の人体影響を調べることが、薬学の分野と少し結びついたような感触があった。


研究室は、迷わず、環境ホルモンをメインテーマにするF教授の研究室を選んだ。F教授の端的な指摘と洞察力には目をみはるものがあったし、私自身、先生が言うことは単純に信じることができた。研究室内では、建前でなく必ず本音で話してくれたから。それに、F教授が女性研究者であるという点に、カーソンを重ねたのかもしれない。研究室配属時、あまりにカーソンを熱く語る私の姿に実は少し引いたわ〜とF教授は後に笑いながら語ってくれたが、「あんたは専門的で難しいデータや情報を、一般の人にも分かりやすいかたちで伝えたり見せたりするのが格段にうまい。発表はいつも分かりやすい。」という言葉をくれた。大学院に進んでもなお、”理系的な思考で実験を進めること”に苦戦していた私に、F教授が唯一褒めてくれた点かもしれない。

カーソン探求にのめり込む大学時代(苦手な有機しなさいよ笑)、環境についての自由作文でレイチェル・カーソン日本協会から表彰をいただいた。いつもはおとなしい感じの同級生が、ある朝私のもとに駆けてきて、「ねえ!新聞載ってたよね?表彰されたの!?」と話しかけてくれたときは嬉しかった。実はこのとき、日本でのカーソン研究の第一人者、上遠恵子先生にもお会いすることができた。

「あら、薬学生なのね。カーソンみたいね。」上遠先生にそんな言葉をいただいたような記憶がある。

興味を持って調べるほどに、途方も無い絶望感を感じる分野である。人間は、未知の物質を作りあげて文明を発達させ、豊かさを享受してきた。人間たちの化学物質讃歌の一方で、それらは、私たちの住む地球を、生き物の命を、ものすごいスピードで侵食していく。毒するものに囲まれないと生きていけない社会を作りあげてしまった

私たちの選択

環境汚染物質の化学反応式はさておき、いとも簡単に、私たちの身近なところに、ひっそりとそしてがっしりと居座る彼らの姿を発見するだろう。例えば、息をすると大気中の浮遊粒子状物質が体内に入り、今日は疲れたなと入ったスーパーやコンビニではカタカナの毒々しい物質をまとった食品が並ぶ。まさに物質と共に生きる姿である。以前参加した勉強会で、「いやあ、僕は怖くてあれはちょっと買えないです」とガン専門医の先生が控えめに話す姿が印象に残っている。こう話している間にも、何百年も分解されない便利な’新商品’が巧妙に正体を隠されて日夜デビューしているのだ。

カーソンは、感情的な過激攻撃に出るのではなく、綿密に調べ上げたエビデンスを武器に冷静に世間に問いかけた。こんなにすごい物質を作り上げた能力を持つ人たちが、その大きな過ちに気付こうともしないなんてと憤る様子が伝わってくる。彼女の著書「沈黙の春」は「明日のための寓話」という表題で始まる。裏付けのある事実をフィクションのように描くはしりがたまらなくカッコいい。

まずは興味を持って自分のまわりを見つめることからはじまる。感情的にならず、事実を知ってどうするのか。ここからは一人ではない。