小学生の頃から環境問題に興味があり、環境トピックのイベントに参加して話を聞いたり、本を読んで学んだりしていたのを覚えている。”地球によくないこと”が現実に起きていて、どうやらその悪化に私たち人間が加担していると気づき始めたようだ。しかし、その動きをやめようとはしていないらしい。

学校やイベントでは、これは環境に悪いのでやめましょうといろいろ学ぶのに、その時間が終われば即座にいつもの”よくない”生活に戻ってしまうものだから、なんて説得力のない話なんだろう。大人に尋ねても、”世の中はそういうもんだ”とあいまいな返答しか返ってこなかった。学校で学ぶ話はフィクションなのか。

地球の環境という大きすぎるテーマに、なぜそんなにも興味と義務感を持ったのかは分からないが、幾度となく自分だけでは地球を救えないという諦めと絶望感に押しつぶされそうになってきた。多感な時期に、行き場のない怒りをどこにぶつけていいのかも分からないんだから、今思えばしんどい話である。

アゾレス諸島のサンミゲル島ハイキングにて

だから、昨今、各国で精力的に活動されている若い人たちには共感するものがある。現状に絶望するだけではなく、自身でできることを模索し、未来の選択肢を社会に知らしめている。表面だけを大人に利用される広告塔にはなってほしくない。彼らと同じような年頃、私はただ絶望して現状をできる限り見ないようにしてしまったから。今は彼らと一緒に、いや彼らだけではなくて世代や人種を超えたつながりのなかで、よりよい選択をしていきたいと考えている。