自然への招待
旅する画家リチャード・ホーアさん
日本人だと言うと、日本にしばらく住んでいたという。

運命とは不思議なものでね、突然日本人の方がアトリエに現れてぜひ日本に来てくれないか、ということになったんだ。彼は多くは語らなかったが、私は導かれるように日本に向かったよ。長野県の小海町というところに2年ほど滞在していたんだ。場所も人も、美しくて本当にすばらしい場所だった。あの光景を思い出しては恋しくなるんだ。これがそのときに開いた個展の冊子だよ。

当時、長野県小海町で開かれた展覧会の告知ページを見つけたのでここに貼っておく。

彼の作品は、旅のなかで出会う自然からインスピレーションを受けて描かれる。ただ自然を写す、描くというよりは、現象をありのまま表現する試みが、もはや自然そのものの姿のように思えた。

とある日の深夜、リチャードさんは皆にこう告げた。
明日の早朝、まだ太陽が昇る前にガーデンに集まってくれないかな。ぜひ見せたいものがあるんだ。寒いだろうからホットティーを持ってくるのを忘れないようにね。

まだ薄暗くて少し肌寒い7月の朝、私たちは言われたとおりレモンホットティーで手を温めながらガーデンに出た。リチャードさんはすでに何やら準備にとりかかっていた。

まさに太陽が昇り始めたそのとき、彼が取り出した水晶がそれはそれは美しくキラキラとカラフルな光を放った。背景の緑と、澄んだ空気、遠くの霞、昇り始めの太陽、水晶を支える無骨な石、全てが調和しまさにこの時を待っていたとばかりに輝いていた。


私たちはその石を取り囲むようにして円になり、リチャードさんの話に耳を傾けた。ちなみに、リチャードさんのストーンサークルを巡る旅も彼のライフワークのひとつである。

早朝のイギリスカントリーサイドのガーデンに立ち、太陽に照らされたストーンを囲みながら聴くリチャードさんの解説。この美しい時間は、Summerleazeでのハイライトのひとつ。


絵画クラス

私は幼少期から絵を描くことが好きだったが、特に専門的な勉強をしたわけでもないし、誰かに師事していたわけでもない。ずっと心の角に追いやってきたアート界への漠然とした憧れは、大人になってから、広告やジュエリーデザインに携わらせてもらえたことで、ようやくちょっとずつ昇華されはじめた。


彼の絵画クラス(便宜上、絵画クラスと呼ぶが、学校でスキルを学ぶようなクラスでは決してない)は、そんなアートへの憧憬を思い起こす時間になった。そして、その表現方法は無限なのだと気付かされる。

そして、私たちはフィールドにしゃがみ、また寝そべり、各々の好きなように自然に触れながら感覚を研ぎ澄ます。目で見えるものだけが存在しているのではないことに気づく。正解などないし、上手いも下手も関係ない。ただ、体に伝わってくる感覚をキャンバスに落とし込む。綺麗に描かなきゃ、とか、体裁整えないと、とかはここでは大きな意味を持たない。


描いているとき、自然と一体化するような感覚になった。そして、画家である彼の作品が自然そのもののように見えるのは、彼の性質によるものだろう。

この絵画の時間をとおして、私は改めて描くことの楽しさを思い出した。描かれたものは、そのときの自身の内面を如実に描いていた。そうだ、これ、私描くこと好きだった。

皆の心をとおしてみえる光景はどんなものだったのか。人の数だけ、いやそれ以上に表現の方法がある。今後、自分はどんな表現方法をしていくのだろうか。私の旅もまだまだ続きそうだ。



リトリートが終わるとリチャードさんは次の旅路、フランスのピレネー地方へと飛び立っていった。
