数ミリのこだわり
習字的アイデンティティー
数学の数式を整えるのもすべて定規を使用していた。物理化学や薬物動態学に直面してからは、その計算式の多さに定規を手放し、開放感と引き換えに美しさを手放したような気持ちになった。誰も読めないような数字を並べ、天才的な計算式を俊速で導く同級生もいたが、私は苦難の末にようやく導き出した解そのものよりも、その完成品を整えることのほうが重要事項のように感じていた。これは習字を書く時の感覚に似ていた。理系界隈では前者が圧倒的多数派で、先述の物化や薬動では、試験突破のために私もそうならざるを得なかった。大袈裟かもしれないが、これはアイデンティティーの崩壊である。
ミリ単位の美学
お稽古のときに、ダヤ先生がお話されていた南インドでのブラウスの話が強く印象に残っていた。
インドの人たちは、ブラウスのサイズ感にとても敏感な方が多いのよ。少し痩せたとか太ったとか、そういうときブラウスのサイズ感が変わるでしょ。そんなときは毎度仕立て屋さんにお直しに行って数ミリ単位でお直しするの。お稽古着のブラウスも、ほら簡単に調整できるようになっているでしょう?いつでも自分にぴったりのサイズを美しく着ているのよ。
これぞ、ミリ単位の美学である。
そんなわけで、タンジャブールの大型テーラーで好みのブラウスを見つけて、そのサイズが自身のサイズと大きくかけ離れていても焦ることはなかった。お直しは一般的なはずなので、付き添ってくれたスタッフさんにお直しを依頼した。しかし、この店ではブラウスのお直しサービスはしていないという。しかし、店の近くに持ち込みでサイズ調整をしてくれる小さなテーラーがあるはずなので、そちらにいけばよいと提案してくれた。土地勘がないまま、”この辺り”で見つかる確率はまあ低い。テーラーの名前を尋ねてみたが、スタッフ誰もがわからないと口にした。
ミリ単位の美学は譲れない。その思いが伝わったのか、ずっと付き添ってくれたスタッフの女性が、そのテーラーまで案内するわ、大丈夫よ。と店を出て案内してくれた。大型テーラーの目と鼻の先に小さなテーラーがあった。丁重に礼を言うと、彼女は笑顔でお店に戻っていった。(素敵なスタッフさんでした、ありがとう!)
お直し職人
こじんまりとした個人店。店の女主人にこのブラウスのサイズ調整をしてほしいと頼むと、奥のフィッティングルームで着替えるようにと案内された。

彼女は、自身の指の幅でどのくらい詰めればよいかをちゃっちゃと秒で測定し、では脱いでちょうだい。とブラウスを持ってミシンに戻っていった。これはもう元の服に着替えていいのか?と迷いながら着替えをしていると、ものの1、2分で彼女が戻ってきた。
着てみてちょうだい
さっきは簡易測定だったのか、やはり測り直しか。と思い袖を通した瞬間、感動が押し寄せてきた。彼女はわずか1、2分でサイズ調整を終えて戻ってきたのだった。体にフィットしたブラウスが、私の体にぴったりと合っていた。彼女のプロフェッショナルな仕事に驚きと嬉しさで胸がいっぱいだった。サリーが着れる。
お直し職人のおかげで、心がとても満たされている。
実は、お直しするお稽古ブラウスを日本からも1着持参していました。購入時からサイズが大きく気になっていて、インド行きが決まってはじめに思い浮かんだのがこのサイズ調整。これは、この店とはまた別の、チェンナイのテーラーに持ち込みましたが、そこでも快く格安でお直しをしてもらいました。そこではメジャーを用いて自身のサイズを細やかに測定後、ぴったりとブラウスを縫い直してもらいました。細やかな測定があったため最初のお店よりも少し時間はかかりましたが、丁寧な仕事風景に見惚れてしまいました。出来上がったブラウスはもちろんぴったりサイズ。数ミリの違いなのに、シルエットは今までとは別もの。とても嬉しくなりました。職人それぞれにやり方が違い、それを間近で見れたのはいい経験でした。
