山口、陶ヶ岳トレック中に見つけた生まれたてのセミちゃん 羽がまだ乾いていない

じりじりと太陽が照りつけるなか、山口でのワーケーションを思い出しながら帰宅していた。ふと何気なく振り向いた自宅近くのマンションの玄関先、1匹のセミがいた。コンクリートに囲まれた町のなかで、緑といえば人工的に植えられた歩道脇の植物だけ。陶ヶ岳のセミを思い出した私は、思わず手を差し出した。腕の上をピタピタ歩く。みどりっぽいつぶらな瞳が愛らしい。

昔からセミが好きだった。あの愛おしくピタッとくっつく感じ。小さい頃、セミは1週間を懸命に生きるのだと大好きな祖父から教えてもらった。その事実はフィクションのような響きを持ち、なんとも言えない虚無感に襲われたのを覚えている。可愛がって頑張ってお世話してあげると長生きするのかな?もっと大自然のなかに放ってあげたらもっと生きられる?エサをたくさんあげるとか?1週間なんてあまりに残酷だ。

ヒトの平均寿命から考えると、確かにセミの一生は短い。だけど、セミは多分、そんなこと考えて生きていない。ただ外の世界は眩しくて、風が涼しくて、たまに鳴いてみて。まぶしい太陽の下でまたどこかに飛んでいく。

幸福や満足の定義は、もっと主観的なものであるはずだ。ヒトは忙しい。知らず知らずのうちに、自分を誰かの枠にはめてしまう。それはオーダーメイドでないからフィットしないことも多いだろう。

いろんな選択肢を探してみよう。

世界中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあって、そのコミュニケーションによる化学反応は無限大だ。そこではむしろ、違う意見を持っているほうがおもしろい。どうせなら、セミマインドで過ごしたいと思う。ごきげんに陽気な歌を口ずさみながら。

PS. 今日のセミちゃんは自宅の庭にワーケーション。ここからどこに行くかはご自由に。