フェルナンド・ペソア

究極の内向家

気合いでどうにか半分まで読み進めたものの、読み始めたことを後悔していた。ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアである。

ぜひ、これを読んでみるといいわ。大学時代は文学を専攻していて、彼の作品には特に傾倒していたの。彼はポルトガルの作家よ。

私が、ポルトガルが恋しいのだと言うと、イタリア人のアリがそう教えてくれた。数年前、ポルトガル語の勉強を始めた頃、”有名なポルトガルの作家紹介”かなにかで見かけたことはあるが、読んだことはなかった。聞き覚えがある”音”だった。

そう、あなたの言うとおりサウダーデの文学よ。ただね、深入りは禁物よ。気をつけて。

サン・ジョルジェ城からロシオ広場、テージョ川方面を眺める

旅をした後にその国、場所で生まれた作家の作品を読むのは実にいい体験だ。この話は以前にも書いた覚えがあるが、世界を旅する友人に教えてもらった旅の反芻法。文章からは、情景だけでなく匂いまで香ってくるようになる。岩手では、賢治さん文学に出会うことができた。

ただ、アリの言っていたことが気に掛かっていた。

ちょっと病んでる系、明治、大正の文豪っぽいやつ?サラッと読も。

とは言え、学生時代、やんごとなき平安文学の枠(コンフォートゾーン)を出た私は、カフカや梶井基次郎、古代ギリシャ哲学への傾倒時期を経ている。この手のものは、少しばかりの耐性ができているはずだと自負していた。

城周辺には孔雀

そのはずだった。

しかし、ペソアは、その僅かながらの私の免疫をやすやすと超えてきた。どうやら、悲壮感に満ちた厭世の作家というわけではないらしい。

訳者である澤田直さんのあとがき、池澤夏樹さんの巻末エッセイを咀嚼して、彼を今っぽく言うとこんな感じだ。

サブ垢70持ってて、
全て架空人物設定済み

キャラ設定も完璧で、
完全なりきってるやつ
(普段は時短で会社員してます)

ペソアの異名者、ソアレスの勤務先であるドウラドーレス通りにて

彼は、オドオドして悲観しているタイプではない。文体は断定形で定義されていて、ある種の自信さえ伺える。私は、敬愛を込めて彼をこう呼ぶことにした。

積極的孤独。究極の内向家。

この場で作品の感想でも書きたかったが、後半、ほぼ半目で読みきった手前、彼の作品解説などは専門家やファンの方に任せておく。きっとそのほうがいい。たった1行をこれだけ反芻しなければならなかった本は、直近ではちょっと思い当たらない。

一瞬、古代ギリシャ哲学の助けを得てわかった気になった箇所も、秒で論破される。彼らは、考えを巡らせたことに対して、その意識の上から、第三者的な目線を落とし自ら否定してはそれを重ねていく。70垢持ってる人の頭のなかってそんな感じ、なのか?わからない。

文系の刃を削がれて久しく、解のない散文が想像以上に困難を極めたと釈明しておく。無知の知。

ペソア読みのお供におすすめ
  • クラシック音楽(ファドでもよいが雰囲気に酔いすぎる)
  • ジンジャ(ポルトガル製さくらんぼ酒)とカカオマス
  • ホットワイン(フルーツとスパイスをふんだんに効かせて)
  • モロッコ風ミントティー(ミント茶葉と緑茶粉末をtsp2ずつ、好みで甘味を)
  • クミンティー(異国を感じるほど濃い目に)

半目になってきたらお試しを。少しだけ覚醒しますがすぐに眠くなります。

リスボンの太陽、ペソアの影

サウダーデの国

ポルトガルという国は、歴史をそのまま何重にも貼り重ねたような風景をしている。世界の覇者となった大航海時代の一コマも、今見える景色の奥のほうにそのまま存在しているような気分になる。喜びも悲しみもそのまま今に溶けこんでいる。

何気ない道でもふと立ち止まりたくなる。坂道のせいかもしれない

私は今のイタリアのほうが好きだわ。なんだかポルトガルってもの寂しい感じがするでしょう。昔のイタリアっぽい感じがするのよね。

アリはこう呟いた。

澤田さんも、「リスボンは変化していない感じで、すぐそこでペソアと鉢合わせそうだ」というようなことを書かれていたが、私もそう感じていた。私が日々うまいスイーツ探しに明け暮れていたバイシャのカフェで、ペソアはひっそりと、しかし周りに”感覚”を研ぎ澄ませながらつらつらと書いていたに違いない。

116 
私に哲学はない あるのは感覚だけだ

15
人生において、唯一の現実は感覚だ。
芸術において、唯一の現実は感覚の意識だ。

断章より

バイシャと言えば、「広場、ロシオ駅付近はツーリスティックで少し高いお店が多いわ。そうね、安くて美味しいお店がこのあたりに多くあるわ」とホステルのスタッフさんが指を指していたあたりだ。

大通りは華やかだが、一本細い通りに入ると、殺風景な雑居ビル街といった雰囲気で、小気味のよい居酒屋が1階でポツポツと営業している。殺風景でさびれているとは言っても、カラフルな建物と朽ちてなお美しいアズレージョのおかげで、陰気さにはヴェールがかけられている。

”サウダーデ”を感じるのは、観光客の多い大通りよりも、こういったシンとした通りのほうである。

リスボンの日没

哲学的にも見える彼の散文は、実際、カフェレストランなどでナプキンにつらつらと書いてあるものも多い。彼自身に出版意図もなく、生前編集に携わったという類のものでもないため、”ポンペイの廃墟”とまで言われた原本の編集はかなりの困難を極めたらしい。

自身の編集者時代、延々と続く編集作業をひっそりと”慢性疾患”と名づけたが、カフェのナプキンからここまで”治癒”したものを読めるまでに費やされた時間を思い、ため息が出た。”ポンペイの廃墟”の”修復作業”に敬意を払いたい。

訳者も翻訳時に大変お世話になったと感謝を述べていたイタリア人作家、アントニオ・タブッキ。ペソア文学に魅了されてポルトガル語を習いはじめ、翻訳だけでなくペソアに関するエッセイ等も執筆されている。アリはおそらく彼の作品も読破しているだろう。

私は図らずも半目で読むことになったが、これを学生時代に読んでいたらアドレナリン全開で読み耽っていたかもしれない。ただ、その頃の私には、中二階のカフェでガラオンとナタに舌鼓しながら次第に暮れていく光景も、カウンター越しにバカリャウのスナックを買って家に戻る小太りな中年男性の姿も、ミラドウロ(展望台)に吹き抜ける心地よい風も感じることはできない。

ポルトガルは日差しが強い。確かに、南部のアルガルヴェ地方に比べれば、リスボンの太陽などまだ穏やかに思えるが、それでも日本よりもカラッとしている。底抜けに明るい太陽は、建物により一層濃い影を落とす。影は灼熱の太陽からの避難場所で、温度差も大きい。

ペソアと異名者たちの断続的なセリフは、この太陽が作り出した影なのかもしれない。

リスボン情報

影を探して

ペソアは、日本でいうところの漱石ポジションのような人で、本国ではかなり有名な作家らしい。これ読みながら歩いたらおもしろそう!

こんな歩き方も興味深い

おすすめアカウント

andrechaica

とにかく映像が美しい!定番から隠れたスポット、新しいスポットまで。レストラン情報も多く、渡航の際の参考にも。

sophiamolen

リスボンに移住した元旅人のオランダ人女性。等身大のリスボン生活や役立つ情報を伝えてくれている。彼女の信条に共感することも多く、リスボンへの愛着が感じられる。