音を奏でる人たち

友人M

ちょうどピアノを習い始めてしばらく経った頃、友人Mが近所に越してきた。幼い頃からピアノを習う彼女の演奏は見事だった。習い始めて間もなかった私にとっては雲の上のメロディーだった。親の希望だけで習いに”行かされれている”友人も多かったなか、彼女は心からクラシック音楽を愛していた。言わずもがな、気が合いすぐに親友になった。家にもよく呼んでくれ、彼女の部屋に入るといつもクラシック音楽をかけてくれた。その頃、私は初々しくバイエルに取り掛かっていたわけだが、彼女の習慣に憧れクラシック音楽のオムニバスCDを買った。これは、初めてか2番目かに購入したCDだった。同級生はポップアイドルの音楽に夢中だったが、私たちはクラシック音楽をかけながら、ハンドメイドや人生ゲームに興じていた。特に何をするということもなく、ただただ有名音楽家たちのメロディーに耳を澄ませるだけのこともあった。たまに彼女のレッスン曲の楽譜を見せてもらったが、難しい数式か何かのようにも見えて暗号だった。見せられた楽譜にはびっしりと注意点やポイントが書き込まれていた。私の先生はボールペンで薄く遠慮がちに書き込む人だったので、レッスンも十人十色なのだなと感じた。

Mの結婚式にて

容姿のあれこれ

ちょうど先の記事で紹介した村上氏の「謝肉祭」に、容姿についての描写があったので少し考えを巡らせてみる(彼の描写はストーリー展開と相まって小気味よかった)。

先の友人Mは、ことあるごとにいつも美人だと言われていたが、当の本人は全く気にとめていなかった。それにシャイで、同い年から見てもかなり純粋な少女だった。その純粋さのようなものがかえって女子たちの妬みの種になっているのは明らかだった。多感なお年頃の彼女らを刺激するのには十分過ぎる材料だ。私と彼女が友達であることを知らない友人から、理不尽な陰口や根も葉もない噂を幾度となく耳にした。そこに恋愛ネタなどが絡めばそれはもう陰湿だった。そしてそのたびにその純粋さで応答してしまうものだから、火に油だった。こういうちょっとした火種は、見ているだけで憂鬱さを感じる。ときに、子ども世界の憂鬱は大人世界以上に残酷だ。

そもそも、友人になるのに理由なんてあるだろうか。まして、その人の容姿など気にしたりするものだろうか(よくわからんが一部そういうのもあるらしい)。

Mとの友情にあえて理由を挙げるなら、ただ気が合って楽しく、クラシック音楽について盛りあがることができ、聞き惚れるようなピアノを弾き、チャーミングな笑顔ではにかんだように笑ってくれるからだ。彼女といるとこちらも幸せな気持ちになった。

容姿はそのインパクトで第一印象を左右するかもしれないが、人となりとイコールではない。それはMのギャップを見るだけでも明らかだし、話してみて印象が違ったというのは多くの人が経験していることだろう。その人物と実際に関わりを持てば印象などいくらでも変わるものだが、SNSの普及でルッキズムが顕在化した現代、各種ビジネスもそれに乗じてさらに複雑化している。”real”はもっとシンプルに安らげる場所であってほしい。”expectation”のスライドは別になくてもいい。

有名なココ・シャネルの名言が簡潔だ。「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」容姿は自分軸で考える程度が健全だ。

ティーンの頃、おじさん、おばさん向けの標語でしかなかった「容姿とは身なりの”清潔さ”が重要なポイントだ」とか「”好ましい”と感じる容姿は一様ではない」といった言葉が少し理解できるようになっていることに気づき、これまでの長い年月を思い返した。年齢が言いたいわけではなく、これまでの期間に出会った人、価値観、経験の重なり。自身の考えは、思う以上にいろんなファクターに影響されて変化し続けるらしい。

音楽のある生活

話を戻すが、私たちは中学生にあがり、私はテニスラケットを、彼女はバイオリンを背負って通学するようになった。会えば少し話すこともあったが、次第に関わりも薄くなっていった。

通う公立中学の管弦楽部は東京フィル出身の名物先生が熱心な指導をしていて、いつも運動部まがいの練習風景を目にしていた(東京フィルがそうなのかは知らないが、中学の文化部で体育会系に見えたのは管弦楽部だけだ)。在学中、「これが本物のオケだ!」というような見事な演奏を日常的に耳にしていたおかげで、高校の吹奏楽部演奏を聴いたときには拍子抜けしてしまった。申し訳ないが、乱雑な練習時間の音でさえ、比較の対象にならなかった。

高校の吹奏楽部に限らず、それ以後耳にする音楽演奏のほとんどは、”あれに比べれば”などと、僭越ながら比較をするようになってしまった。勝手に脳内で中学オケの音がドヤ顔をしてくるのだから仕方がない。

とにかく、そんな管弦楽部に彼女は所属していた。ピアノはもう弾かないの?と何度か聞いたことがあったが、今はヴァイオリンのほうに興味があるようなことを言っていた。彼女のピアノが好きだったので少し残念に思ったが、それが彼女の選択だった。

それからいく年も経ち、彼女から結婚式の招待状が届いた。

新郎と一緒にミニコンサート

学校を卒業してからも趣味で音楽を続けているようだった。少しはにかんだようなあのときと同じ笑顔で、今もクラシック音楽に囲まれて生活を送っているようだった。

ピアノ調律師

そんなわけで、だらだらととりとめのない記憶を辿りながら、珍しくこうやって何時間もクラシックを聴いている。

実家にはまだピアノがあって、定期的にピアノの調律師がメンテナンスに来てくれる。実のところ、誰も鍵盤に触れなくなって久しいのだが、やはりそれでも調律しないと音はズレていくのだという。(弾いてないことも一瞬でバレてしまう)

調律師の彼が来ると、一体どこの大音楽家がやってきたのかと思うような、聞いたこともない音が家中にこだまする。そんな音の重なりがあったのかと圧倒される。彼は演奏家としても一流であると聞いたことがある。

私はひそかに彼の調律コンサートを楽しみにしている。彼が来訪した1週間くらいは、私もピアノに夢中になってしまう。長年弾いていない指はたどたどしく、当時弾いた曲も全く弾けないか情けない仕上がりだ。おまけに腕も筋肉痛で攣りそうだ。けれど、ピアノも弾いてもらったほうが喜ぶというので、当時選曲してもらった映画音楽の楽譜を広げ、ピアノのために弾きはじめた。