啄木新婚の家
岩手の物書き
越してきた頃、姐さまから石川啄木は盛岡出身なのだと聞いた。岩手県の教科書級物書きは賢治さんだけではなかったらしい。詩や短歌には少し苦手意識があり、彼については現代国語で習った程度だ。へえ、啄木さんもかと思っていると、あちこちで”啄木”の文字を見る機会があり、いい機会なので啄木ゆかりの地に行ってみることにした。

啄木新婚の家
傘をさそうかどうか迷う程度の小雨がチラつく朝、ふらふらと啄木さんの元家を目指した。

そして突如現れる武家屋敷。

歴史が現代に現れる場所。こういう場所は無条件にワクワクしてしまう。と思っていると、

え、今日閉館やん。

仕方ないので、案内板を読むことに。

、、、啄木さん、なんか晒されてる?
結婚式の日には現れず、やっと来たかと思えば、気が多く、ここには3週間程度しか住んでいない。時にハタチの彼。新郎不在の結婚式を行なった妻節子さんの心境はいかほどのものだっただろうか。ゴシップのような、居酒屋の鉄板ネタにでもなりそうな、そんな若かりし時代のエピソードを令和時代に晒されるなんて予想だにしなかっただろうな、と思うとなんとも皮肉で少しにんまりしてしまった。
26歳で早逝した漂白の歌人が、急に親近感のある人物に思えてきた。家の中に入れなかったのは残念だったが、このエピソードを知れただけでも来たかいがあった。
