音を奏でる人たち

クラシック音楽

村上作品を読み終え、室内にはシューマンの謝肉祭が響いている。最近はもっぱら外国語文学ばかりを選んで読んでいたせいか、作品を読み終えたあとのなんとも言えない余韻を楽しんでいる。海外にいると”たまに”日本が恋しくなるあの感じに似ている。日本特有の空気感や、微妙な違和感のようなものは、やはり母語の日本語で読む楽しさがある。神戸の描写なんかは、さすがというか、言葉だけで、これほど六甲の香りがしてくるのだから。多分これは、他の国の言語であっても同じことが言えるだろう。だからこそ、知識量や習得程度の実際はさておき、旅や言語学習は興味深い。

私自身、特にクラシック音楽に明るいわけではないが、本に収められていた「謝肉祭」という作品が印象に残っている。今シューマンのその作品を聴いているのもこのためだ。村上氏が称賛していたルビンシュタインの演奏で。クラシック音楽を長時間聴くなんて、いつぶりだろうか。

ピアノ教室

楽器を習うには遅いと言われる小学校の高学年からピアノを習い始めた。ずっと楽器に興味はあったが、引っ越しやらなんやらタイミングの問題だったのだろう。地元のピアノ教室の先生は、サラサラの黒髪ボブが印象的な細身の女性だった。スラリと細くて長い指先が、ピアノの鍵盤の上で美しくメロディーを奏でていた。ピアノを弾くときは身体を音楽にのせて揺らし、指先は軽やかなステップを踏んでいた。ちょうどその頃、彼女の1人娘が日本を代表する某有名劇団に入団が決まった。その後も娘さんが出演する宣伝ポスターを嬉しそうに、そして誇らしそうに見せてくれ、教室の壁にはいつもその劇団の公演ポスターが飾ってあった。

音楽、芸能一家に生まれたわけでもなく、家でクラシック音楽が流れるような家でもなかったので、某有名劇団への入団がどれほど難関で華麗な経歴なのか、ただピアノを習い始めた小学生にはよくわからなかった。ただ周りが”すごい”と言うので、”すごいんだ”と思っていた。音楽や舞台を知らなくてもその名前は誰もが知っていたから。大学時代、初めてその劇団の公演を見に行く機会があったが、噂に聞くとおり圧巻のショーだった。

ピアノ教室では、年1回の演奏発表会が地元の大きなホールを貸し切って開催された。私の通うピアノ教室と、娘さんのピアノ教室の合同演奏会だった。発表会で弾く曲目は、先生が各自のレベルと雰囲気に合わせていくつか提案してくれ、そのなかから自身で選ぶのだが、この選曲が私はとても気に入っていた。もちろん知らない曲ばかりだったが、先生がこの曲はこんな感じなのよと試しに弾いてくれるその時間も好きだった。その当時の私は映画音楽になど全く興味はなかったが、後年見返すと、その曲目が大好きな映画音楽であったりしたものだから、先生の眼力のようなものにやはり一目置くことになった。

初めて娘さんの演奏を聴いたのはその発表会だった。演奏には音大時代の仲間も加わり、いろんな楽器の音が鳴り響く楽しいステージだった。ドレスアップをしてライトに照らされた音楽家たちは、それはもうキラキラとしていて、彼らが奏でる音もこれが一流の演奏なのだと感じさせるものがあった。これがスターなのだと思った。(良し悪しが分かったわけではない、あくまで感覚の話)そして、そのオーラのようなものに魅了され、私もあんなふうに弾けるようになりたい!とここで再び決意を新たにするのである。発表会曲の練習は確かに大変だったが、そういった意味でも、この発表会の存在する意義は大きかったと思う。

ピアノ好きは続き、その後の学校の合奏コンクールなどでは自薦、他薦を含めてピアノ伴奏はいつしか私のパートになった。人前で歌うよりピアノを弾くほうがはるかに好きだったので、いつも迷わずピアノを選んだ(強力なライバルがいる場合は同じくらい好きだったマリンバを選んだ)。伴奏者になったことを告げるといつも先生は喜んでくれ、通常のレッスンのあとに課題曲が仕上がるまでしっかりと練習を見てくれた。一緒にレッスンに通っていた弟は、いつも嫌がって練習をサボっていたし、同じ教室に通う友人は、練習をしていかなかったことを怒られたから早く辞めたいと文句を言っていた。ピアノに関しては練習をサボったことはなかったので(好きor嫌いじゃないというのはそれだけですごいことだ)、記憶にある限り私はあの先生に怒られたことはない。確かに失敗することも、できないことも多いのだが、やはり指導者というのはよく見ているもので、「今回もよく練習してきたわね」と褒めてくれることが多かった。今しがた怒られた子の隣で褒めてくれるものだから少しバツが悪かったが、嬉しかった。

ヴァイオリニストのリカちゃん

ヨーロッパを周遊していた際、オーストリアのザルツブルグで日本人ヴァイオリニストのリカちゃんに出会った。この刺激的なザルツブルグ滞在記もまた機会があれば書きたいと思う。

ザルツブルグで開催された「サウンド・オブ・ミュージック」50周年記念ガラコンサートにて

部屋に美しく響く音色と息遣い、その情熱的な人柄にすぐ魅了された。滞在中、プライベートでの彼女の話は本当に刺激的だった。彼女は凛としてプロフェッショナルで、クラシックしか聞かないと言うので、少し興味深くなった私はポップミュージックを聴いてもらうことにした。今流行りのものについては無言だったが、Judyの歌声を聴いた瞬間「この人いいね」と言いながら少し専門的な、いかにも音楽家らしい解説をしてくれた。インパクトあるMVや派手なパフォーマンスなどに惹かれがちだが、”耳”で音楽を聴くリカちゃんはやはりプロだった。

部屋での練習風景

リカちゃんはフランスを拠点に活動していたが、CDデビュー後の来日コンサートで再会することができた。彼女の煌びやかな経歴はそのときに知ったのだが、それでいて全く偉ぶるところがない。そんな人柄も相まってさらにファンになった。

皆が学校生活や趣味、いろんなことに時間を割いてきたように、私は、ただこれ一本に時間を捧げてきたの。

音楽家ってホントかっこいい、すごいねと興奮する私に、自負とも覚悟ともとれる表情を浮かべてそう口にした。彼女の時間は音への代償だった。しかし、誰もが代償さえ払えば目指す地点にいけるのかと問われれば、言わずもがな、やはりそこには才能と努力とタイミング、いろんな人生のスパイスが必要とされる。確実に言えるのは、私にとってリカちゃんとの出会いはそのスパイスになっているということだ。