夢うつつの南インド
暖かい土地でけたたましく鳴く美しい鳥
朝、目覚めると、外から鳥の鳴き声がけたたましく聞こえてきた。”けたたましく”とは言っても、それは耳に心地よく、きっと美しい鳥なんだろうなと思わせるような耽美な声で鳴いていた。そう、どこかの熱帯で鳴く鳥が奏でるようなカラフルな音色だった。けれど、ここは、グアムやハワイといった人気のリゾート地とは全く違う場所に思われた。
とうとう、ここに来てしまった。
昨日の深夜、ティルチラーパリに到着した私たちは、暗がりのなか、大勢のインド人ドライバーが待機しているゲートで予約していたタクシーに乗り込み、このホテルに到着した。現れたのは小綺麗なホテルで、フレンドリーでどこかゆったりとしたホテルマンたちが働いていた。そこは、思い描いていた”カオス”の場所とはほど遠く、何日でも滞在できそうな場所だった。深夜にやってきたから、外はどんな感じなのかはわからない。わかっているのは、ここは暖かい土地で、外にはけたたましく鳴く美しい鳥がいるらしいということだけだった。(のちに、その声の主は野生の孔雀らしいということになる。)

しばらくすると、部屋のベルが鳴った。オプションの朝食弁当を受け取る。弁当の蓋を開けると、作りたてホヤホヤの手作りイドゥリとドーサ、ダルやサンバルなど数種類、あふれんばかりにたっぷりと詰め込まれていた。夢うつつであれこれ考えていたのが一気にふきとび、興奮しながら夢中で頬張った。そう、私がここに来ることになった、その原点を辿れば、”南インド飯”に行き着く。インド滞在最初のご飯、最高にうまかった。
この旅は最高のものになるだろう、という予感がした。

ウイルス生物学の呪縛、解放
一生、この国に行くことはないだろう。というか、絶対に行かない。
鮮烈な印象を残す講義の最中、大学生の私はそう強く心に決めた。当時から海外にはひときわ強い興味を持っていたが、教科書に載っていた世界の感染症マップで”一生行かない国”をチェックし、脳内に組み込んだ。そこで結構多くの国が”旅NGカントリー”になってしまったが、それが清潔過ぎる国に生まれたものの宿命なんだろう、とどこか理解したような気で過ごした。社会人になってからも、その考えが大きく変わることはなかった。
これまで、旅が好きだと言うと、「インドには行ったのか」とか「インドはバックパッカーの聖地」だとか、「山が好きならネパール、インドあたりは最高だからぜひ行くといい」、「インドで世界変わった」など、インド讃歌の名言は各地でよく耳にしたが、それもまた彼らにとっての真実で、リアルな体験なのだろう。私の脳内にインストールされた知識が重くのしかかり、彼らの讃歌に暗い影を落としていた。
けれど、私が行く場所ではない。

そんなわけで、自身がインドにやってくるなんて、つい先日まで考えてもみなかったわけだが、今、こうして埃っぽくてどこか土臭いインドの地を踏んでいる。「一生〜」、「絶対に〜」なんて言葉はほんとあてにならないもんだ。国会議員が、嘘か誠か、舞台役者のごとく力説する姿を想像して興醒めした。
2023年、リトルインディアでの南インド体験から、バラタナティアム、イギリス、小豆島、バッザとのスピリチュアル旅、師匠との出会い、くうさんとの再会など全てはゆるりと繋がっていて、今それは全て必然的であったように感じている。いや、リトルインディアの前からもう、そういうふうになっていたのかもしれない。

最初、バラタナティアムに興味を持ったのは、踊りそのものだけではなく、神に捧げる奉納舞(デーヴァ・ダーシー)としての歴史に魅力を感じたことも大きな理由のひとつだった。尊敬する師匠が、その南インドタミルナドゥの寺院で奉納する光景はまさに夢の舞台。
インドは誰しもが呼ばれるわけではない土地。今、全てのピースがそろって、行かない理由なんてないでしょう!
親友であり旅の師、くうさんの言葉は強く心に響き、何かがするりするりと溶けていくようだった。彼女は青年海外協力隊でインドへの赴任経験もある。この国の感染症の現状をその目で見たいとインドに飛び立ち、帰国後、その現状を綴った論文を学術誌に寄稿している。
クラクションが鳴り響く喧騒、カラフルなサリー、霧のような大気汚染、花を編む女性のそばから漂ってくるジャスミンの香り、ミールスの誘惑、ジンジャーのきいたチャイ、甘いけどクセになるスイーツ、野良犬に野良牛、野良ヤギ。憧れのバラタナティアムに導かれて出会った大切な皆と一緒に、裸足になって石の上を歩いていく。信仰は日常に溶け込み、私たちも優しく包み込まれた。神聖な空間で奉納舞を捧げるダヤ先生たち。舞台のほうから強い風が吹き、地元の人たちだけでなく、かのシヴァ神も歓喜しているようだった。
ここに来ることになっていた。
ゆっくりと深呼吸をし、嬉しさを噛み締めた。ここに来てから毎日五感が忙しい。いや、六か。眉間のビンディーも、今や付けていない方がなんとなく落ち着かないのだ。