弟子登場

武田さん親子

山行前、姐さまがこう言った。

おもしろい方が来るわよ

武田さん親子

仙人の愛嬌ある年代ものジムニーの近くに、まだ新しそうなジムニーが停車した。秋田からやってきた武田さん親子。お父さまの晃さんは仙人と高校時代の同級生で、ルポライターをされている。以前姐さまから、ライターの弟子がいるとの情報を聞き、会って話してみたいと思っていた方だった。

仙人のスクラップより(分厚いファイルに連載が全てスクラップされていた)

師匠、元気?

弟子は仙人の姿を見て、笑顔で話しかけた。弟子は、仙人を師匠と呼ぶ。関東暮らしが長く、私が想像していたような”東北っぽい訛り”は1ミリも感じることがなかった。これまでに秋田の方と話したことがなく、実はこの”秋田弁”を少し楽しみにしていた。それどころか、ゆったりとしてスマートな話し方とウィットに富んだ返しに、どこか都会っぽさを感じずにはいられなかった。

君、おもしろい話し方するねえ。

私の関西弁に弟子が笑顔でそう言った。

仙人とラガーマン

自然に任せる

熊の道

できる限りの熊対策装備を身につけ、持ち物の準備も整った。山行前に、仙人が念押しした。

ここでは、熊と一緒に生活しているということを頭に置いておくように。

超初心者コースで、仙人の経験があっても、”自然相手なのだから無茶はしない”と話していた姿が印象に残っている。

仙人の行く道を

一歩、山に入ると少し緊張感が増した。”登山”で”山の道”には慣れてきたと自負していたが、ここに”道”はなかった。自然そのままに生きている植物たちが、力強く一面を覆いつくしていた。

けたたましいホイッスルの音があたりに鳴り響いた。数十年の付き合いだという熊は、仙人の声だけは覚えているらしい。”仙人の声”は熊鈴やホイッスル以上に効果的らしいが、最近は体力的に難しくなったとのことで、弟子たちはホイッスルを思いっきり吹き鳴らした。

深い林、薮をかき分けて歩きやすそうな”道”に出る。安全第一なので、そんなときしか動画や写真は撮れなかったのだが、人が入らない場所で草木が薙ぎ倒された場所というのは、先立って熊が歩いた道であるらしい。

この熊の跡を歩いているという認識は、私たちが当たり前に口にする”熊が出てこわい”という言葉に違和感を感じるきっかけになった。

熊が襲うために出てくるのではない、私たち人間が彼らの生活圏に侵入しているのだ。自然とそう感じ、仙人が冒頭に言っていた言葉がすっと腑に落ちた。

私は、普段山に登るときはトレッキングシューズしか履かない。岩場が多く滑りやすい環境で救われたことが何度もあり、登山用品のなかで一番信頼を置いている。山登りを始める友人から、まず何から揃えればよいかと尋ねられると、登山靴と必ず答えている。

しかし、今回初めて長靴で山に入った。いや、正確には初めてではないかもしれない。幼少期に積雪地帯に住んでいた頃は、地元民御用達の長靴(雨雪が入らないように口が絞れる)で入っていた気もする。

どちらにせよ、この長靴で大地を踏みしめる感覚というのがたまらなく新鮮だった。木が折れて盛り上がった箇所や木の葉が溜まっている場所、ぬかるみ。そんな自然の様子を視覚だけでなく足の感覚と音で直に感じるのだ。

硬くて丈夫な鎧をつけたTX5は、岩場、急斜面での良き相棒だが、足が土壌と一体化するようなこの何とも言えない心地よさは味わえない。数年前にも紹介した裸足系トレッキングシューズなんかは、まさにこの感じを味わえるのかもしれないが、慣れないうちは転倒リスクが高く、山と状況を選ぶだろうと思う。

薬用植物園

キハダだ。これは漢方にもなる。舐めてみるといい。

Phellodendron amurens、苦味の主成分はベルベリン。大学にも薬草園があったし、何百種類かの生薬の鑑定試験もクリアしてきた。紙の上でいくら暗記していても、実際に野生に生えているものを見て、それと判別できるだけのスキルは残念ながら持ち合わせてはいない。

仙人は樹皮を少し剥がし、鮮やかな黄色の木質部を見せてくれた。仙人は、独学だが生薬学にも長けている。しかも実際に生えている植物を見て鑑別できるのだから、現役でもかなわない。

木の右、樹皮内側部分が黄色いのが見えるだろうか

オウバクですね、胃腸薬になりますね。苦いでしょう。

紙面上の知識を披露する。

そうか、君は専門だったね。

鮮やかな黄色の生オウバク

当時、生薬鑑定試験で見たオウバクは年季の入った乾燥オウバクでもっと白っぽくなっていて、B教授が「もとの木はね、本当に真っ黄色なんよ」と注釈を添えていた記憶がある。B教授は、それぞれの生薬で口にできるものは噛んでみるといいと教えてくれ、放課後、教授の研究室に足を運んで、ガラス瓶の蓋を開けてはいくつかの生薬をかじってみた。味の記憶というのは強烈で、だからこそ、今回”オウバクは苦かった”と覚えていた。

その後も、生薬のコウボクやら食べれる植物やらが何度も登場したが、実家の庭で母が長年植えている植物さえもいまだに覚えられないのだから、ここで全て紹介するのは骨が(ボロボロに)折れてしまうのでご勘弁を。

師匠の知識はホントすごいんだ。けれどね、言葉足らずなんだよ(笑)

何十年も仙人の友人である弟子は、いたずらにそう言いながら仙人に憧れと尊敬の目を向けた。そして、これまでに仙人から聞いてきたことを、詳細な注釈を加えて教えてくれた。

後日、改めて武田さんのルポを読んでみると、この八幡平の情景が鮮やかに脳裏に浮かんできて、楽しい追体験をさせてもらっている。デジタル記事がないのが残念だが、スクラップ現存分は記録させてもらったので、またいずれまとめたいと思っている。