ブキ・ティマ自然保護区

シンガポール最高峰

おすすめはここ。あら、もうチェック済みね。

ブキティマ山頂にて

ハイキングが好きなのだと言うと、ウビン島で出会った地元の若者グループたちが地図を指しながらそう言った。レイル・コリドーの清々しさに気分がよくなり、彼らもおすすめしていたブキティマ山を目指すことにした。

この国に”山らしい”山はないからね」と苦笑いするシンガポール人も多かったが、このブキティマ山は間違いなくシンガポール最高峰なのだ。

山を囲むように一帯は自然保護区に指定されており熱帯の自然が綺麗に保存されている。ハイキングコースも難易度別にいくつか整備され、ここも運動靴で気軽に登れる(心臓破りの坂道はグリップの効いたトレランシューズのほうがいいかもしれない)。

ハイキング情報

レイル・コリドーでは、イヤフォンで音楽を聴きながら普段着で歩いている地元の方がほとんどだったが、ここの入口に来て8割くらいが”登山客”らしい格好をした人になった。

左手にはビジターセンター

入り口にはビジターセンターがあり、近くにトイレや飲料用水の機械なども設置されている。内部もきちんと清掃され綺麗だった。

トイレや飲料補給スペース、ゴミ箱なども綺麗に整備されている

開園時間も決まっている。ハイキングルートもいくつかあることが確認できる。それぞれのルートも丁寧に整備され、各所に標識も設置されているので、勝手にルートを外れない限りは道迷いなどはなさそうだ。

今回は、ルート3のサウスビューコースから山頂を目指し、ルート1に抜ける周回コースを設定した。

ルート案内や標識など、丁寧に掲示されている

山頂やルート途中には東屋が設置され(場所もマップ上に掲示されている)、気軽に休憩することができる。もう、言うまでもないが、清掃もきちんと行き届いている。

東屋

いくら綺麗だとは言っても、ここは熱帯地域の自然公園のなかであることをお忘れなく。虫さんはそこらにいる。よく見かけた赤いお尻の巨大蟻は、ジャイアントフォレスト蟻と言うらしい(そのまんまだった)。

いたるところに説明板があってわかりやすい

東屋で休憩タイム。それにしても、レイルモールのコールドストレージで買ったクロワッサンひとつが、いつものインド飯朝食の値段と同じだったことが未だに謎だ。

いくぶんか偏った食リサーチの結果、この国でクロワッサンを食すとエンゲル係数爆上げするようだ。

山ではインド飯よりパンが向いてると思っていたが、ドーサを持ってきてもいいかもしれない

そして、先にも述べたが、道は綺麗に整備されているが、”心臓破り”と言っても過言ではない坂道が続く箇所がある。軽装のご高齢の方も歩いていたので決して難しい道ではないが、普段歩き慣れていない方には少々しんどく感じる場所かもしれない。

走りがちなので気を付ける

日本軍占領、統治の記録

ブキ・ティマで見た日本

入口で偶然見つけた看板に、日本語で表記があった。

英語、マレー語、中国語、タミル語、日本語で説明されている

1942年、シンガポールを攻め入った日本軍はここブキティマヒルを攻略。この場所は、シンガポール陥落を目指す日本軍とイギリス軍が戦った要衝であり、占領を機に日本軍はシンガポール市内に突入したという。

ここシンガポールの最高地点において、まさか日本の歴史を垣間見ることになるとは思ってもみない出来事だった。この事実を知らなかったことに日本人として恥ずかしさを感じ、そして激しく動揺した。訪れる土地の歴史は、やはり少しでも勉強しておくべきである。いつも感じることだが、今回はいつもに増して痛感している。ハイキング途中、当時の防空壕をいくつか目にしては複雑な気分になった。

ルート脇には調査中で立ち入り禁止区域もある

そして、1942年から戦争が終結する1945年8月までの約3年半、シンガポールは日本軍の占領下におかれることになる。昭南島と名前を変えられたこの場所は、日本軍による虐殺、理不尽な抑圧と支配が行われ、「シンガポールの暗黒時代」と評されている。このような日本軍による侵略の歴史を教訓に、2月15日はTOTAL DEFENCE DAY (国防の日)として制定されている。”シンガポールの土地を誰にも渡さない、誰にも支配させない”という想いが込められている。この日の18時20分には、国中にサイレン音が鳴り響くという。英連合軍と日本軍による降伏調印が行われた日である。

この一帯はかつて良質な花崗岩が採れ、採石場がいくつもあったそうだ。

複雑な歴史の上に、生き生きとした熱帯の生態系が覆い被さり今も時を刻んでいる。静かな景観のなかに垣間見た歴史を重ね、平和を祈った。