菊水山、鍋蓋山から再度山

最も魅力的な六甲のルート

正直、街のお山、六甲山系は好みではありませんでした。山なみを拝む壮大な眺望、どうしても山深いトレイルに目がいきます。

今回のトレイルは、六甲ハイカーバッジ獲得のためだけの山行でした。しかし、起点の鵯越で空気を吸い込んだ瞬間、”なんかええとこやなあ”と思わず声がもれました。六甲山頂を目指すルートに比べると、ハイカーも少なく地味なルートかもしれませんが、六甲山系のなかで最も魅力的なトレイルに感じました。六甲へのハイキングと言ってもこんなに印象が違うんですね、おもしろい。

再度山系へは何度か登っていますが、鵯越駅スタートのルートは初めてでした。神戸駅からバスに乗り、鵯越駅前で下車。駅前の踏切を渡って右脇にハイキングルートへの入り口があります。

鵯越駅

山のほうは霞がかっていましたが、とても清々しい空気でした。

心地よいトレイルでは、いつもお気に入りのミュージカルが鳴り響きます。今日はBAND WAGON。鼻歌まじりで、取り憑かれた人のように映画に出てくるダンスを真似てみました。前から突如現れたトレランのお兄さん。六甲山系では、歌って独り言を言うと、なぜか高確率で人に遭遇します。

湿気を帯びて澄んだ空気中に鳥の声が聞こえてきます。心地よい雰囲気です。

ビーズアクセと山歩きの相性

毎日、取り憑かれたように作っているビーズアクセをいくつか着けてきました。まず、指輪。これは、日焼け止めも水も気にせず使えるので山用にしようと思います。ただ、ネックレスは、山行中の汗ばむ首元にビーズが食い込んで不快だったので、これは普段用に。

天気がよくハイカーさんの姿もちらほら

明日のための寓話

今日はEarth Day。山を歩きながら、”環境”について考えていました。

見出し”明日のための寓話”は”沈黙の春”第一章の好きなタイトルです。

SDGs

最近は、SDGsの言葉を多く見かけるようになりました。日常生活に直結した環境アクションは、確かに効果的です。ただ、なかには企業のグリーンウォッシングもあり、私たち消費者も商品を手に取る前に一旦考えてみる姿勢が大切です。見た目だけでは分からないことも多く、公正な第三者の立場で紹介している環境アクティビストの方や、環境系メディアの発信をいくつか比較、参考にしています。

そもそも、それぞれのアクションをSDGsという言葉で囲って特別なものにするのではなく、それが日常生活の一部になると心地いいですね。

このルートは眺望もよい

日常生活からの環境アクションが重要な理由

山を歩いたり、海に入ったり、自然のなかに身を置くとき、いつもより五感がフル活動しているような感覚になります。森林の匂いや鳥の声、土を踏み締める感覚。緑と思っていた山には、実にいろんな色が潜んでいます。

ついつい忘れがちになりますが、ヒトもその豊かな生態系に生きている動物であり有機体の一部です。地球内では、いろんな命、物質が循環して成り立っています。そうなると、汚染物質(地球、生き物に弊害をもたらすものを便宜上こう呼んでおきます)も例外ではなく、必然的にそのサイクルに取り込まれて生物濃縮、汚染は増幅されていきます。これは神話やオカルトの類ではなく生物学的な事実であり、どうしようもありません。人への健康被害だけにフォーカスを当てるならば、生態系への攻撃は人への攻撃、生態系への労りは人への労りです。

循環

循環”の言葉をイメージするとき、どんな光景を思い浮かべるでしょうか。私は、雨が地面に浸透して、やがて雲となり雨や雪を降らすイメージをよく思い浮かべます。

子どもの頃、日本海側の豪雪地帯で数年住んでいました。初めて見るふわふわとした新雪は綿あめのようで、口に入れてみます。その光景を見た大人たちは、「汚いからやめなさい」と言いました。おそらく大人たちが汚いと言ったのは、雪に混じる泥や埃やチリ、車の排気ガスなどもあったのでしょうが、「真っ白で綺麗な雪なのになんでだろう」と思っていました。その頃ちょうど読んでいた環境問題の本に、酸性雨の解説が漫画でわかりやすく描かれていました。そのとき初めて酸性雨というものを知りました。これは、”循環”を意識した最初の体験でした。それと同時に、途方もない問題を知ってしまった気分になりました。

取り組みやすい具体的なこと

マイボトルやマイバックは実践されている方が多いのではないでしょうか。しかし、日本のスーパーで見る光景はプラ天国。野菜や果物が過剰なプラで覆われている光景には居心地の悪さを感じることがあります。ヨーロッパ諸国を旅していると、いるぶんだけちぎってレジに持っていくシステムも多いです。一人旅だと少しだけほしいということも多く、それでいてコストも抑えられるので量り売りシステムは気に入っています。

レジ袋が有料になりマイバッグは普及したものの、マイバッグに入れる際、小さな透明のプラ袋を大量に活用している方も見かけます。手持ちの他の袋を活用してもいいですし、なければ、マイバッグに入れる際の小分け袋としてプロデュースバッグというものもあり、値段もお手頃なのでおすすめです。洗濯でき、何度も利用できます。

包む文化

先のスーパーで見かける野菜のプラ包装だけでなく、日本の過剰包装はよく聞く話く話だと思います。まだ海外旅をはじめて間もない学生時代、海外生活の経験もあった親友から海外生活のあれこれをよく聞いていました。”海外旅行行くならマイバッグ絶対持っていったほうがいい”とか”袋なくて中身このまんまなんだけど、これお土産”といったやりとりに、外国ってなんだかそっけないサービスだなと感じたこともありました。かわいいパッケージや包装に心惹かれるお年頃、今思えば、綺麗に包装、梱包されていることに慣れすぎていました。認識が変われば印象も変わります。

ただ、日本の”包む”という行為は、もともと相手への敬意やまごころが形になったものだと思います。しかし現在、包むものは圧倒的にシングルユースのものが多く、敬意は一瞬にして永遠に分解しがたいゴミになります。先日、気に入った雑誌のページを自身で加工して封筒にし再利用しているという方の発信をみかけました。読まれたあとすぐにゴミになる運命だった紙封筒の美しさに、いろいろな”包み方”があるのだなと感心しました。

しかし、地球の寿命を縮めるものは確実に減らさなければいけません。日本人が大切にしてきた包むことで表現される相手に対する敬意は失われるものではなく、また別のかたちで表せるものだと思います。私も、古典文学が好きなこともあり、受け継がれてきた伝統や文化に興味があります。ただ、時代とともにその在り方をシフトしていくのは自然な流れではないでしょうか。

水の音が心地よい

断ること

モノのあり方だけでなく、自身の行動や考えを少し振り返ってみるのもいい考えです。

お店で買い物や飲食時、”当たり前”に付いてくるシングルユース品のサービス。「結構です、要りません」と言える回数を増やしていくことから始めてみてはいかがでしょうか。初めは、せっかく言ってくれているしとある種の罪悪感を感じることがあるかもしれません。店先で「それ、そのままで大丈夫ですよ」と言うと、戸惑いながら「え?いいんですか。すみません」と逆に謝られることもあり、妙な気分になることもあります。確かに、袋に入れることや、カトラリーの類をつけることは個人の判断ではなく企業の判断で、そうするように教育、指導されていることが多いのだと思います。このことは、消費者側の認識を変えていくことが大切だと感じています。消費者が選ばないサービスを企業はあえて推奨しません。不要だと言うことは、提案してくれた方への否定でもありません。まずは、小さなアクションから。

ふと眺めると魅惑の景色が