アレンテージョムード

サラマーゴの迷宮から抜け出し、また次の本を取り出した。再び、迷宮に入り込んでしまった。アレンテージョの白壁に反射する太陽と”硫黄臭”が脳内に漂い始めた。いつも就寝前に読むものだから、聞き覚えのある地名やどこか寂しげなアレンテージョの夕暮れが夢に出てきた。

ポルタレグレの昼下がり

ガルヴェイアス

物語の舞台は、1984年のポルトガル、アレンテージョ地方の小さな村、ガルヴェイアス。これは実在する村で、著者ペイショット氏の故郷と同名ではあるが、著者は場所の特定をしていない。村人たちの名前も、聞き覚えのある地名だったり、ポルトガルでよく聞く人の名前だったりした。だからこそ、現実のような、夢のような不思議な感覚に迷い込む。(同時に、”1984”の数字は村上春樹氏の小説を連想させた)

そんなガルヴェイアスに、巨大な物体”名のないもの”が落下し村中に硫黄の匂いが立ち込めるようになる。そう、好むと好まざるとに関わらず、この小説にはずっと”匂い”が付きまとっている。匂いはいつも記憶とリンクする。

匂いはやがて、人々の記憶のかなたに埋められていく。犬たちを除いて。嗅覚受容体の飽和だな。しかし、硫黄臭に汚染された大気は確実に生活のなかに溶け込んでいて、この村で焼かれるパンなどは明らかにまずくなっているのだ。それでも村人の生活は続いていく。

物語は、村人の一人一人にフォーカスしたオムニバス形式で描かれるが、小さい村なのだ、いつもどこかで誰かがつながっている。この感覚は、実際に小さな村を巡った際に体感した。

ひとつひとつは、不快な匂いの立ち込めるどこか不穏で奇怪なストーリーだが、”名のないもの”を中心にまわるストーリーは、視点を変えればまた違う一面が見えてくる。

”人が生きる”とは
こういうことなのか

自身の人生では主人公だが、他人の人生においては脇役なのだ。そんな当たり前のことを再確認してはっとする。

物語は、硫黄臭のしない赤ん坊の匂いで締めくくられる。不穏な出来事ばかりですり減った心が、救われたような気がした。久しぶりに嗅ぐ”硫黄臭のしないもの”ではるか昔を思い出した村人たち。時間が経っても、どこにいても、いつもガルヴェイアスへの愛情がにじみ出ている村人たち。ガルヴェイアスの村は、この先どう進んでいくのだろうか。そんな余韻を残しながら、多分このまま淡々と、側から見れば静かに、個人のなかではめまぐるしい生活が続いていくんだろう。

カステロ・ブランコの石畳

アレンテージョの乾燥した空気と絶品の料理を思い出して、またぷらっと行きたくなってしまった。

記憶のアレンテージョ

過去のポルトガル旅についてはいくつか記事を書いているが、実はまだ未完。ここから濃い旅が始まる!というところで終わってしまっているのだが、やはりこの本のキーワードにもあるように、記憶というものは年数が経つと忘れてしまったり、いい風に書き換えたりしてしまう。写真や匂いは記憶の助けになるが、やはり記憶が新鮮なうちに記録するのがよい。とは思うものの、怠惰さが勝り腰は重い。

ここでアレンテージョが出てきたので、私の記憶のなかにあるアレンテージョを少し紹介したいと思う。

アレンテージョ地方は、バスを使った日帰り旅をはじめ、ポルトガルの友人の車で数週間かけてめぐった。”アレンテージョ”と言うとき、この白い壁に黄色の縁取りがまず思い浮かぶ。

リスボンやポルトといった大都市と雰囲気の違うこの地方は、一言で言うと”素朴”だ。物語のガルヴェイアスには訪れなかったが、その周辺の小さな村はいくつも通り抜けた。車は木々が広がる広陵とした自然のなかを走っていた。そして、いつも突如として小さな村々がパッと現れる。村の前にある木には美味しそうなイチジクがたくさん実っていて、友人はそのひとつを採って手渡してくれた。石が平たく積まれた場所に腰掛け、もぎたてのイチジクを食べた。

道路標識にはEspanaの文字

スペインにも隣接しているこの地方は、西側にあるマルヴァオンの高台などから、スペインの広陵な景色を拝むことができる。

この素朴な村々では、やはり住人たちは淡々と暮らしていた。エヴォラやポルタレグレなど、観光地となっている場所や少し大きめの町などは宿泊地もあるし、飲食店もあったが、大都市のそれに比べると数は圧倒的に少ない。数少ないカフェやレストランには、地元のおじさんたちがいつも軒先で休んでいた。飲食店の選択肢は限られていたが、ハズレと思う場所には出くわさなかった。それどころか、個人経営のお店はどこも美味しくて雰囲気がよく、数が少ないことで洗練されているようにも思えた。

アレンテージョは、ポルトガルの他の都市に比べて彩度が低い。言葉にしづらいのだが、けばけばしい派手さがなく、これが先の”素朴さ”にも繋がっている。道を歩いていても、人に出くわすことが少ない。リスボンから向かうと、やはり別の場所なのだなと感じる。歩きながら見上げると、建物には必ず洗濯物が干してあるのは共通しているが。

確かに、夜薄暗くなると、”イキった若者”が道の真ん中で大声で仲間と群れてはしゃいでいたり、ムードもなくちょっかいをかけてきたりするのだが、リスボンや大きな町のそれとは全く違う。物語のなかで出てきた若者たちが記憶に重なった。

地方行くとさ、ケバい子多いよね。田舎のヤンキーかなって思う。

20代の頃、地方に移住した東京の友人が言っていたのを思い出した。単に静寂な周りの景色で、自然と目立ってしまうのかもしれない。どちらがいいかといった話ではない。

私のなかのアレンテージョには、物語の硫黄臭はない。リスボンより早く乾きそうな洗濯物に付着した洗剤の強い香料の匂い、あっさりとした味わいのアレンテージョ料理の匂い、村の隠れ家的なクラシカルバーで飲んだ赤ワインのフルーティーな匂い、車窓から穏やかに心地よく吹き抜けた乾燥した空気の匂い。私はよく車で洗濯物を干していた。よく乾くのだ。

そんな記憶のアレンテージョには、この今の瞬間も、きっと淡々とした生活風景がそこにある。

カーネーション革命とEEC加盟

訳者の後書きを読んで勉強になったので、覚書程度に記しておく。

カーネーション革命

カーネーション革命(Revolução dos Cravos)は、1974年にポルトガルで発生した軍事クーデター。この革命はヨーロッパ最長の独裁体制「エスタド・ノヴォ」(Estado Novo:新国家)をほとんど無血に終わらせた。カーネーションが革命のシンボルとなったのでこのように呼ばれる。別名「4月25日(25 de Abril)」、「リスボンの春」。

ウィキペディアより

偶然にも今日は4月25日。フォローしているポルトガル関連のインスタアカウントに、カーネーションの写真が次々と掲げられていて、どんな意味があるのだろうと思っていたのだが、この革命のことだった。40年以上に及ぶ独裁政権が終結し、ようやく民主化が始まったのだという。革命前後からアフリカの植民地が独立を求めて泥沼戦争が勃発し、ポルトガルの60〜70年代は混沌の時代だったらしい。古い時代にも思えるが、両親がまだ幼く若かった頃だと思えばまだまだ新しい出来事だ。

今もポルトガル全体に漂う、どこか寂しげな哀愁はこういうところにもあるのかもしれない。

EEC加盟

現在、ポルトガルはEUに加盟しており、通貨はユーロだ。EUは、1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)から順次拡大していき、独裁政権が終焉を迎えたポルトガルは、1986年に欧州経済共同体(EEC)に加盟している。

この物語の舞台は1984年。訳者の印象的な言葉があった。

グローバル化がはじまえる前の、ある意味でポルトガルがもっともポルトガルらしかった最後のときだったと言えよう。

ガルベイアスの犬 訳者あとがき

歴史を知ると、訪れる土地に少し近づくことができる。